#29
ヨメとチビの宮崎疎開から一年たって思うこと。
ヨメとチビが宮崎に避難して一年がたちました。
昨年の3月15日、関東地方の放射線量が一時的に通常の約300倍という数値を計測します。水素爆発した福島第一原発から流れてきた大量の放射性物質は、この日到達しました。
夫婦でどうするか、話し合いました。私はしばらく、チビをしばらく外に出さない生活をして、例えば数ヶ月とか様子を見てみようかと思っていましたが、ヨメは考えた末、チビのためにもとりあえず郷里の宮崎に避難したいと言い出しました。
私は家族の遠い地への避難までは考えていなかったので一瞬戸惑いましたが、とりあえず向こうへ行って、様子を見て時期を見計らって帰ってきたっていい。そう思いましたので了解しました。
そして、ヨメとチビは昨年の3月18日、宮崎に向かったのでした。
当初は避難生活はせいぜい数ヶ月くらいかなと考えてましたが、ネットから様々な情報を探すと、思った以上に状況は深刻だということがわかりました。それと同時に、政府の発表する内容があまりにもおかしいので政府発表は鵜呑みにしないと決めました。
ヨメがあまりにも素早い決断をしたので驚きましたが、よくよく考えると思い当たるフシがありました。
それは、この事故が起こる前から、私たちが原発について疑問を持っていたこと。
いつからかは忘れましたが、何年も前から私たちは
グリーンピース・ジャパン
という環境団体のサポーターになっていました。
グリーンピース・ジャパンはそれまでも原発の危険性についてもたびたび警告し、原発についての講演会も何回か開催し、私たちもそれに参加した記憶があります。
ですからヨメも、原発が爆発したと聞いて、これはただごとではないと思ったでしょう。
今ほど政府や各自治体が発表した情報は多くはありませんでしたが、数値云々の情報よりも、直感がヨメに即座に疎開を決意させたのだと思います。
こういうことに関しては、男性より女性のほうが本能的な思考が優れているようですね、感心しました。
ヨメは宮崎での生活を始めたばかりの時、「テレビでは大丈夫って言っているのに、何で宮崎に避難しているの?」という疑問をまわりから投げかけられたようです。
今でこそ宮崎を始め西日本での放射能からの避難組は多くなりましたが、当初は物珍しかったので、奇異な目で見られることも多かったようです。
まあでも、仕方ないですよね、放射能といっても福島から遠い地の宮崎じゃ実感湧かないですから。私だって宮崎で口蹄疫が流行ったときも、ああ大変だなあと思いつつ実感は湧かず、遠いところで起こった出来事としか感じることができなかったですから。
さて、この避難が正しかったのか、取り越し苦労だったのか。それは分かりません。今でも、自分たちは一体何をやっているんだろう、大げさではないか、と、ふと思うことがあります。
しかし、放射能による健康被害、それについては諸説ありますが、本当のところはどちらが正しいか分からない。
でも、分からない=問題が無い、ではないのです。私たちは念のために、「安全ではない」という情報に従って行動することにしました。何もなければ万々歳ですが、子どもは小さいほど放射能に対する感受性が強いといいますし、チビはもしかしたら大きく健康を害すかもしれない。そうしたらその時、政府も誰も責任を取らないでしょう。チビが大きくなって「想定外だった」とは言いたくない。だから私は、今ヨメとチビを避難させることは正しかったのだと思っています。
でもやはり自分たちの子だけこっそり逃がしているようで心苦しいのも事実ですが、こればっかりはどうしようもない。
政府や東京電力の偉い方々には言いたい。あなたたちの今の対応、本当にそれでいいのですか。もしかしたら、あなたたちの言うように、何ともないかもしれない。でもあなたたちに、私たち日本に住む人たちの子孫への思いやりはどこにあるのですか、と。