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#145

子どもはどんな目的で生まれてきたか・・・について

2014-9-13


 「かみさまとのやくそく」という映画を見ました。
 自主上映の主催者の方が、お子さんもご一緒に、ということなので、親子3人で。


 子供たちはお母さんやお父さんを選んで生まれてきた、とはよく言われる話ですが、本当だろうか、とずっと思ってました。
 望まれて生まれてきて、お母さんとお父さんの愛のもと育てられている子どもたちは、そうなのかもしれない。
 では例えば、親から虐待を受ける子どもたち、あるいはうちのムスメのように実の親と離れて暮らさざるを得ない子どもたちは、お母さんやお父さんを選んで生まれた、と言えるのかな?
 これ、3年前に映画「生まれる」を観た時にも感じたことですが(→「魂でつながった親子」)。

 出産や子育てに悩む親たちを励ますために都合良く解釈された話ではないだろうか、とずっと思っていたのです。



 この映画では、胎内記憶に詳しい何人かの先生が登場します。
 産婦人科の医師として活躍しながら子どもたちに胎内記憶のインタビューを続ける先生、胎内記憶について研究している大学の先生、「たいわ士」として子どもたちの言葉をお母さんに伝える先生・・・などなど。

 産婦人科の池川先生は、胎内記憶を持つ子どもたちに生まれてきた理由について訪ねると、「人の役に立つため」と全員が答える、子どもたちはお父さんとお母さんを助けようとして生まれてきている、と言います。
 映画に登場する子どもたちは、先生の質問に対して、お母さんのおなかにいる時やお母さんのおなかに来る前の様子を、詳しく話します。
 空には子どもたちがたくさんいて、テレビのようなものがあってお母さんや他の大人が写って、お母さんを選んで滑り台のようなもので滑って降りてきた、とか、おなかの中から外が見えた、とか。


 そうかあ、子どもたちは、人を、親を、助けるために生まれてきたのか。

 たいわ士の南山先生の講演のシーンで、とある乳児院で働いているという若い保育士さんの質問のシーンがあり、目が釘付けになりました。
 私が知りたかったこと、それを彼女は質問として代弁してくれました。
 乳児院に預けられる子どもたちは、何の目的で生まれてきたのか、と。確かそんな質問でした。
 それに対し先生は答えました。
 中には、お母さんに生んでくれるだけでいい、という子どももいる。乳児院には、家庭で育つよりも、多くの子どもたちと生活するほうがいい、という子どももいます、と。そんな内容だったと思います。

 え?と思いました。
 確かに、この世に生まれるために、だれかのお母さんに生んでもらうだけという選択をする子もいるかもしれない。多くの子どもたちと生活した方がいいと思う子どもたちもいるかもしれない。

 しかし、それは、そうして生まれてきた子どもたちのうち、ほんの一握りではないかな?多くのそうした子どもたちは、産んでくれたお母さんや実のお父さんが好きで一緒に生活したいのにできない子の方がはるかに多いと思うのです。
 それは私がこれまで里親として児童養護の問題について学んだ中で感じたことです。



 ムスメが3歳のころ、産んでくれたお母さんのおなかにいるときのこと、覚えている?と聞いたことがありました。覚えていない、と答えました。カミさんも同じことを聞いたことがあったらしく、その時は明るかったと答えたと思うと言ってました。

 この映画を見ながら、今は5歳のムスメに再びそっと聞いてみました。産んでくれたお母さんのおなかの中にいたときのこと、覚えてる?と。「覚えてない」と即答しました。産んでくれたお母さんのおなかのに来る前のこと、覚えてる?とも聞いてみました。やはり「覚えてない」と答えました。
 うちのムスメには胎内記憶は無いんだな、とその時は思いました。

 その後、映画が終わってお茶でも飲もうと近くのカフェで涼んでいる時に、ふとムスメに(名前をHとします)「Hは何のために生まれてきたの?」と聞いてみました。すると「生きるため」ときっぱりと言いました。


 この言葉には仰天しました。
 映画の中で先生が言った「お母さんとお父さんを助けるために」という答えは期待していませんでしたが、まさか「生きるため」という答えが返ってくるとは思いませんでした。
 これはどういう意味なのか。私たちに助けて欲しいというサインなのだろうか・・・。
 ムスメがうちに来たばかりのとき、彼女が何か一人で生きてゆくことを覚悟したような、そんな感じに見えた(→「チビと暮らし始めて1年。」)ことを思い出しました。
 そう考えると、推測するに「お母さんのおなかにいたとき」のことも、「生まれる前のこと」も、忘れてしまいたい辛い記憶があり、自らその時の記憶をシャットアウトしてしまったのではないか。
 そんなふうにも思えます。
 あくまでも推測ですが。

 それはつまり都合良く解釈すると、ムスメが、私たち夫婦が自分のことを助けることができる、そう思って私たち夫婦を間接的に選んだ、ということか。
 いずれにせよ、子どもたちは何かしら自分の意思を持って生まれてくるのだろう、とは思いました。



 私はこの映画から私の疑問に対する明快な答えは得られませんでしたが、この映画は、多くのお母さんお父さんたちに希望を与えるでしょう。
 うちのムスメの生まれる目的が「生きる」ためだとしても、結果的に私たち夫婦はムスメからいろいろなことを学び、助けてもらいまいた。
 子どもが生まれる目的はともかくとして、子どもたちは親を助けるために、親を幸せにするために親の元に来るんだね、素直にそう思えます。

かみさまとのやくそく⇒ http://norio-ogikubo.info

カテゴリー:こどもとともにフィルム

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