いま自然をどうみるか
高木 仁三郎 白水社
かつて人間が畏れてきた「自然」は、主に西洋の多くの科学者や数学者によって解析されて法則が解き明かされました。そうして定着した自然観をコリングウッドという人が「機械としての自然」と呼んだそうです。
自然は人間と対峙する存在となり、自然を法則として抽象化させて、人間により克服されるべきものとなったわけです。
確かに「機械としての自然」により、ある面では自然を操り、また危機を事前に回避することが可能になったでしょう。しかし、それは同時に自然に対する畏れや危機感がいつの間にか薄れることとなり、「想定外」という形で人間に対し甚大な被害をもたらすことになったのもまた事実です。
「地球にやさしく」というキャッチフレーズをよく見かけますが、地球は自然破壊されても痛くも痒くもない、ただ自然が持つ独自のシステムで動き、人類がさらに大きな被害を被るだけです。
何のことはない、地球に優しくするのは人類のためだと思うわけです。悪いことに他の生物たちは人間の行動によりその巻き添えを食ってしまう。
自然を科学で説明できるなどと本気で信じ切るのは非常に危うい。
2011-6-9
カテゴリー:自然環境と災害/思想・哲学・心理/世界の文化と歴史