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読書の時間 #381

検証 防空法 空襲下で禁じられた避難

水島 朝穂 大前 治 法律文化社 (2014)


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 「防空法」とは聞き慣れない言葉ですが、「航空機やミサイルによる空中からの攻撃を防ぐこと。」(デジタル大辞泉)だそうです。そして戦時中、日本では防空法という法律が定められていました。
 水島さんらは戦時中の防空法とそれについての新聞や配布されたビラ・冊子などから当時の防空法について検証し、驚くべき実態を明らかにしました。

 「つまり防空法は、現実に予想される空襲から国民を守るための法律ではない。守るべきは都市であり、国土であり、国家体制である。」p.21

 どういうことでしょうか?

 この防空法が適用されたのは軍隊のみならず、多くの国民も防空訓練や燈火管制への従事・協力の義務を課せられ、一体となって国を守るように定められていました。
 そしてそこには、国民の身の安全の確保や避難については定められていません。そればかりか、定められた義務を放棄し避難した国民には処罰が適用され、非国民の烙印を押され、自らが暮らす土地に戻ることは出来なくなったといいます。

 例えば、当時国民に向けて発行された『時局防空必携』によると、焼夷弾が落ちたときはバケツなどで水をかける、砂や土をかける、などの処置方法が記されているそうです。新聞もそれに歩調を合わせ、焼夷弾を手づかみで外に出せる、バケツ5〜6杯で消火できるなどと解説。
 もちろん、焼夷弾をバケツで水をかけたりする程度で消火できるはずもありません。焼夷弾を自分たちで消火できると説明することで恐怖心を薄れさせ、空襲から逃げないようにするのが目的でした。

 防空法では国民が空襲に備えて避難することは禁じられていました。
 例えば、西欧諸国では空襲時には地下鉄の駅や通路が公衆避難場所として開放されて多くの命が助かったのとは対照的に、日本政府は地下鉄の駅への避難は禁じられ、空襲時には地下鉄や地下道の入口は閉鎖されました。
 疎開ができるのも、小さな子ども・病人・老人のみで、それは、そうした人たちが都市に居続けると防空に支障が出るからでした。

 当時の日本政府はなぜ、国民を避難させないようにしたのか?それは政府が、国民が避難することで戦争継続の意思が薄れることを恐れたためのようです。
 こうして、東京をはじめとした各都市の空襲で、「逃げてはいけない」とする法律のために甚大な被害を被ったのです。

 読み終わって、ふと思い出したのが、福島第一原発事故に対する、今の政府の対応でした。
 被災住民の避難を渋り、出来るだけ事故を小さく見せようとし、住民には「この程度の放射能は健康に支障はない」と説明し、線量が20mSv/年より下がったからと特定避難勧奨地点の解除して避難住民を帰還させようとしています。
 こうしてみると、今の政府は根本的に70年前と何ら変わっていないことがよく分かります。

2015-8-18

カテゴリー:日本の文化と歴史

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