#64
子どもと親のつながりと。(里子の名前を例に)
2012-12-2
二年ほど前、私たち夫婦が長い里親研修の末に里親制度の里親として登録した直後のことですが、里親会という里親さんたちの集まりに始めて出席したときでした。
うろ覚えですが、フリートークの場で「預かっている里子を周りの人たちから実の名字で呼んでもらうか、それとも里親の名字で呼んでもらうか」と里親のみなさんに私が質問したことがありました。
里親さんたちの意見は「里親の名字で呼んでもらう」が圧倒的多数でした。理由は「日常生活上、里親の名字を通称といて読んでもらう方が混乱が少なくて済む」というものでした。
育ての親と子の名字が違うとそのことについていろいろ聞かれて、いちいち説明するのが面倒だとか、へんなうわさ話で子どもが傷つくとかわいそうとか、そういう意見が多かったように思います。
しかし、生意気にも私がそのとき述べた自分の意見は「里子の実の名字で呼んでもらうのがいいと思うし、そうしたい」というものでした。
里子にはそれぞれ実の親から受け継いだ立派な名字がある。それは尊厳されるべきで、育ての親の都合でおざなりにしてはいけない。だから里子は里子の実の名字で読んでもらうのがいいと思っていたのです。
まだ里子を預かる前の話です。
***
ところでつい先日、里親の定期的な集まりで、議題メニューの中に先輩里親さんの体験談を聴くコーナーがありました。
その先輩里親さん(Oさん)はこれまで数十人の里子を預かってきた大ベテランで、里親仲間の間でも大先輩として慕っている方なのですが、ベテランなりのとても意義深い話でした。
Oさんはある一人の子どもを自分たちの跡取りにしたいと思って、その子が中学生の時に養子縁組したそうです。すると、子どもの様子が変わった、というのです。
養子縁組をするということは自分たち家族の籍に入るということです。そうすると里子は籍上は我が子になり、同じ名字になります。
子どもが変わったのは親が変わったからなのよ、やっぱり預かっている子どもと自分の子になった子どもは同じようでもぜんぜん違うのよ、とそんなことを言ってました。
しかしOさん、跡取りは一人でいいと思い、その後多くの里子を預かったのにもかかわらず他の子は養子縁組はしなかったといいます。
Oさんは他の里子たちは、当初その子の実の名字で育てていました。
ある子は水泳の時に水泳パンツに縫い付けてあった、Oさんとは違う自分の実の名字の布を引きちぎって帰ってきたことがあったと言います。
Oさんはそのときの事を、その子はここ(Oさんの家庭)にずっといられるという気持ちが欲しかったのかもしれない、と振り返ります。
それを聞いてハッと思いました。
預かった里子に対して、そういう「その子の名字というのは尊厳されるべきだからその子の実の名字で育てるのがいい」という考えこそ、親の勝手な都合だということでした。
里子として来る子どもが欲しいものは自分の実の名字に対する尊厳ではなく、いつも側にいてくれる家族との「つながりを感じること」でした。
もちろん「つながりを感じるもの」は名字に限らず、当然他の要素もいろいろあります。
そしてそれはその子その子によって違います。
また、その子がもっと大きくなれば、自分のルーツとしての自分の本当の(あるいはもともとの)名字を使いたい、と思うかもしれませんが、小さいときは必ずしもそうではない。
私たちが育てている子どもも、最近私たちと同じ名字になりたいという意思表示をするようになりました。
子どもが本当にほしいもの(必要なもの)、それはそのときそのときで違うし、それは親が良かれと思うことと異なる場合があるし、親が「これがいいのだ」と一方的な決めつけないで、子どものありのままの姿をよく見てそこからその子の気持をすくい取ってあげる必要があるのだと、改めて思いました。
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