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#100

戦争に参加する覚悟はできているか


2013-5-6


 前回の記事『「日本国憲法改正草案」通読のススメ』に関連した話題になりますが、先日「映画 日本国憲法」という映画を見ました。

 2003年のイラク派兵に合わせて2005年に制作されました。世界中のいろいろな方に日本国憲法について語ってもらったものですが、主に焦点は憲法第九条に当て、この憲法が、いかに崇高なものか、大きな力を持ったものかが分かります。
 もちろん日本には「自衛隊」という、憲法に照らして合法か違法かが問われ続けた事実上の「軍隊」が存在するわけですが、それにしてもこの憲法第九条が歯止めとなって武力が戦前のような大きな権力を持つこと無く済んでいるわけです。
 それどころか、この「憲法第九条」がある日本であるからこそ、周りの国は日本に対し安心感を抱いているのだそうです。憲法の中で「平和を求め武力を放棄する」という単純かつ偉大な理念を定義しているだけですが、それが実はとても大きな力を持ち、目に見えない影響力を世界中に与えているということを初めて知りました。
 にもかかわらず日本からイラクに自衛隊を派遣しました。そのためにイスラム圏からは「アメリカとともに軍隊を派遣した国」と見られてしまい、今まで日本を友好的に見ていたイスラム諸国がその見方を変え始めたことは本当に残念なことです。

 先日、《歴史の転換点》の検証-1930年代と現代を比較する-というタイトルで明治大学の山田朗教授のお話を聞く機会がありました。
 戦前の1920年代から193年代にかけての《歴史の転換点》と現代との酷似性を検証したものでした。
 酷似している点として挙げられたのは、
・「大災害・大不況による社会不安・不満の鬱積」
 ・・・1923年に関東大震災・震災恐慌、1927年に金融恐慌、そして1929年に世界大恐慌。
・「《歴史の転換点》の発端となった領土・権益問題」
 ・・・当時は「満蒙は日本の生命線」と言われていたそうです。
・「政党政治の混迷と「維新」を叫ぶ勢力の台頭」
 ・・・この時期の政党政治の混迷を、「国家改造」と「対外侵略」によって打開しようとする勢力が台頭し、維新のやり直しや天皇制による新たな支配体制の構築をめざす動きが大きかったようです。

 どうでしょう。上記を現在に当てはめてみると・・・東日本大震災、長引く不況、尖閣諸島、与党・一部野党よる憲法改正推進の動き、などなど。

 もちろん、当時と現在との異なる点もあると言います。それは、「言論活動の自由」「護憲=民主・平和主義勢力の存在」「軍部の不在」。
 しかし、もし憲法第九条が変えられて国防軍が設立されてしまうと、これら「異なる点」は当時と「異なる点ではなくなる」可能性が大きいことに気づくでしょう。

 関東大震災の後、わずか8年で満州事変(1931年)が起こり、戦争の時代に突入します。歴史の転換は動き出す時は急激に動くと言います。

 とても興味深いですね。当時と現代が酷似しているから必ず同じように動くというわけではないでしょうが、現在教授している平和な社会がいつ急激に崩壊するかもしれない可能性が無いとは言えないわけです。

 改憲推進の動きの中で大きく取り上げられているものに「集団的自衛権」というのがあります。これはWikipediaによると「他の国家が武力攻撃を受けた場合に直接に攻撃を受けていない第三国が協力して共同で防衛を行う国際法上の権利」とあります。
 例えば2003年のイラクにしても、日本から自衛隊が派遣されても憲法第九条の縛りで武力を行使することができませんでした。当然自衛隊が活動したのは当時の首相が非戦闘地域と呼ぶ比較的安全(といわれる)場所だったようですが、憲法が改正されて集団的自衛権が公に認められると、当然日本は戦地に人を送り戦闘に参加しなくてはならないわけです。

 これは、アフガニスタンに派兵された、デンマークの若者たちの様子を撮った映画「アルマジロ」。
 一見よくある戦争映画のように見えますが、ここに登場する兵士たちは俳優ではなく、本当の兵士。カメラマンが実際の戦地に同行して兵士の活動を撮影した、戦闘の記録。
 派兵前の家族には重苦しい空気が漂い、家族たちは悲痛な気持ちで彼等を見送ります。
 テロリスト撲滅のために戦地に乗り込んだ若者たちは、着任当初は敵であるテロリストとの戦闘の機会も無く、偵察ばかりで、ゲーム感覚で戦闘を思い描いていた若者たちは早く戦闘がしたくてうずうずします。
 ところがある日、そのときはやってきます。
 仲間たちの間で空気が緊迫し、テロリストとの銃撃戦が数日続きます。数人の仲間が負傷し、いつ自分がやられるかもしれない、という気持ちで若者たちは極限の精神状態に追いやられ、普通の生活では考えられない異常な思考に変わっていきます。

 自分の家族・友人・知り合いたちが、このように戦地に送られたら、どのような気持ちになるか。
 ある政治家たちは国際貢献のために集団的自衛権を、と簡単に言いますが、集団的自衛権が認められると、この映画にあるような、ような国に日本はなってゆくでしょう。

 他の国がそのようにしているのに日本がそれに合わせて何が悪いのか、という意見もあるでしょう。しかし、それは私は「後退」だと思っています。これらの国を抜きん出て輝かしい憲法第九条を維持した日本は、他国に合わせて後退するのではなく、世界中に武力放棄を働きかける役割があるし、それができるのはやっぱり日本だと思うのです。
 山田朗さんも、日本が今の憲法第九条を捨て軍拡に走るなら、世界中に軍拡の連鎖が広がるでしょう、とおっしゃっていました。

 このまま何も手を打たなければ、自分たちでこの憲法を守る努力をしなければ、将来戦争への参加は現実のものになる。戦争に参加する覚悟、できてますか。

***

 話は反れますが、「アルマジロ」の中で。
 派兵されてた彼等にとっては戦地ですが、アフガニスタンの地元の人たちにとってはそこは生活の場。せっかく種を播いた畑は踏み荒らされ、デンマークの兵士たちも現地の人と友好に付き合おうとし、テロリストの居場所を聞き出そうとしますが、彼等も口を割ったことがうっかりばれると自らの命も危ういのでなかなか口を割りません。

ある村人が語った印象的な言葉。

「タリバンを追い出すのは無理だよ、タリバンも貧しいから戦っているんだ」・・・


 いつも思います。
 テロリストを作り出しているのは本当は誰か、そしてテロ撲滅と叫んで得をするのは本当は誰か。
 同じように、憲法を改正させたいのは本当は誰か、憲法を改正して得をするのは本当は誰か。


映画 日本国憲法 http://www.cine.co.jp/kenpo/index.html
アルマジロ http://www.uplink.co.jp/armadillo/
参考資料 《歴史の転換点》の検証-1930年代と現代を比較する-山田朗 2013/3/17



カテゴリー:フィルム気になる人たち平和を 安心を 自由を


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