#106
子は「預かりもの」
2013-6-17
里子であるムスメとの特別養子縁組の申立てを裁判所にしたのが今年の1月。
ようやく審判が確定し、市役所に養子縁組届を提出して、ムスメは我が家の戸籍に入りました。
晴れて私たち夫婦に戸籍上の子ができてよかった・・・と言いたいところですが、手放しで喜ぶのも気が引けます。
なぜなら、果たしてこれがムスメにとっていいことかどうか、分からないから。それはいずれ、ムスメが大きくなってからどう感じるか、これが全てだからです。
もちろん私には、自分たちの子どもが欲しいから、ムスメが戸籍に入ってもらえば自分たちの子どもとしてこれからも一緒に暮らせるから、という親中心の考えは少なからずあります。
しかし、ムスメを里子として預かった約2年半、本当にいろいろ考えましたが、やはり養子縁組したほうがムスメにとってもいいだろうという結論が変わることはありませんでした。
「子は授かりもの」という言葉があります。
私は結婚してなかなか子どもが出来なかった頃、「子は授かりもの」という言葉を信じていました。その時が来れば、神さまは私たちに子どもを与えてくれる。焦っていても仕方ないのだ。
しかし今思うのは、子は「授かりもの」ではなくて「預かりもの」ではないか、ということ。
神さまが、私の大事にしている子どもたちなんだからしっかりめんどう見てくれよ、と、親に託してくれたもの。
子どもたちは親のものではない。子どもたちは、大事に育ててくれるよう神さまが親たちに預けてくれたもの。
生まれてきた子どもたちが親に似ていた方が、親が親しみを感じてちゃんと育てるだろうから、子どもはお母さんから生まれるようにしている(きっと)。
うまく出来てますね。
私たちは残念ながら実の子には恵まれませんでしたが、実の子のような子どもが我が家にやってきました。
うちのムスメも、私たちと血はつながってませんが私たちに似ていますよ。ムスメが怒るところなんか親そっくり(涙)。
ムスメが我が家の戸籍に入ったからといって、これまでと何かが大きく変わるわけでもありません。
これまでムスメの里親だったときも、ムスメとは成人するまで親としてつきあう気持ちで接してきたし、これからもそれは変わりません。
そして同時にムスメには、実の親のことを思いやる心も育ててあげたいし、育ての親としてもそれを自ら実践したい。
なぜなら、私がムスメの立場だったら、きっと自分の実の親のことを思って欲しいから。
私たちがどう頑張っても彼女の実の親にはなれないし、ムスメが実の親の戸籍から離脱しても、ムスメの実の親は変わらないから。
何よりも、実のお母さんがムスメを産んでくれたおかげで、ムスメがここにいるから。
ムスメが立派な大人になって、私たちが神さまに「よく育ててくれた」と言ってもらえるよう、そして何よりも当のムスメが、私たちと生活してよかったと心のどこかで思ってくれるよう、これからも共に心を寄せ合いながらつきあっていきたいと思います。
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