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#150

ニャンタよサヨウナラ


2014-10-31


 埼玉の実家に住む私の両親が一匹の猫を飼い始めたのは、ムスメが里子としてわが家に来る少し前だったと思います。

 その頃は実家の近所に住んでいて時々実家に顔を出していました。
 ある日実家に行きましたら、猫を飼い始めたというので、どれどれ見せてもらおうと見回しました。

 どこにもいません。

 「ここ、ここ」と母が指差したのは、ダイニングにある棚と棚の間の、狭いすき間。

 影で暗くなったそのすき間に、光る目玉が二つ。

 居るのは分かるけど、どんな姿か分からず。

 母が猫においでおいでと手を伸ばしますが、猫はさらに奥の方へ行ってしまいました。

 猫のことは諦めて、くつろぎながらしばらく父母と世間話なぞしていましたら、ある時突然、白いものがピューっと走ってゆきました。
 それがその猫との、初めての出会い。


 その猫は母が知り合いから譲ってもらったとかで、極度な恐がりでした。

 猫が実家に来たばかりの頃は父母にもまったく近づこうとしないので、エサは皿に入れて人気の無い所に置いていたとか。



 ニャンタ。


 その猫が来てしばらくは、母はどんな名前にしようか、と言っていましたが、いつの間にか猫はそう呼ばれていました。

 この「ニャンタ」という名前は、私が小学生の頃飼っていた猫・・・というよりも、ある日ふらりとうちにやってきて妙に人なつこいので可愛がっているうちに居候することになってしまった老いぼれの野良猫・・・その猫の名前でした。

 母は昔私が飼っていた猫を思い出し「ニャンタ」と仮の名前でとりあえず呼んでいるうちにそのまま「ニャンタ」になってしまった、という感じでした。



 毎日一緒に住んでいる人にはさすがに慣れ、ニャンタは両親には気を許すようになってきましたが、両親以外の人間には近づかず、時々訪れる私やカミさん、ムスメの気配がしただけでも猛ダッシュで駆け抜けて隠れてしまいます。

 ある時、ニャンタと仲良くしようとそっと近寄って撫でてあげようとしましたが、なんとか近寄れたものの、手を出したらすごい勢いで逃げだしました。

 それを機に、ニャンタは私たちから、さらに距離を置くようになったのでした。

 両親のアドバイスに従い、もう私たちはニャンタを見かけても、知らんぷりをして見ないふりをするようにしました。

 ニャンタはいつもは我が物顔でリビングでのさばっているそうで、私たちが数日泊まろうものならほとんど姿を現しませんでした。ときどき二階の両親の寝室辺りで大きな音を出し、どうも苛ついているようで早く帰れとでも言いたげな雰囲気。


 ニャンタはなかなかの美男子でした。

 顔立ちはすっとしているし、目の色はきれいだし、毛は真っ白で体型はスマート。

 「イケメンビビり王」

 なんて、カミさんと私はニャンタのこと、ふざけてこっそりそう呼んでましたけど。



 それから時がたつにつれ、ニャンタはますます両親にべったり懐くようになりました。

 両親もニャンタを、まるで孫と接するようかのように、かわいがっていたのです。


 ムスメが実家に出入りするようになったのは、ニャンタが両親のもとで暮らし始めるよりも後。

 実家に行けば、ニャンタがムスメの先輩ということになります。


 ムスメが小さい頃、週に何回か昼間にムスメを実家に預けた時期がありました。

 ムスメがわが家に帰ってきてからニャンタと仲良くしてる?と聞くと、ムスメは「ニャンタ怖い。ニャンタ、ガオーって言うんだよ」と話しました。

 父母以外の大人たちの姿を見るとすぐ逃げ出すのに、ムスメには歯向かうようで、どうも新入りのムスメに対し敵対心を持っていたようでした。


 両親からニャンタの話を聞くと、何から何までうちのムスメの行動と一緒だということが分かりました。

 甘える、何かをしているところを邪魔しようとする、美味しいものをせがむ、いきなり飛びつく、ごねる・・・

 話を聞くたび、おかしくて笑ってしまいました。

 親は猫の里子と暮らし、子は人間の里子と暮らす。

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 定位置。



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 定位置。



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 定位置。



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 定位置。



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 おそらく定位置。(※父撮影)



 それでもここ一年くらいはニャンタも私たちのことを「悪いことをしない人たち」というふうに認識し始めたようで、こちらから向かっていかなければ、父母の元に行くために様子をうかがうようにそろりそろりと近くを歩くくらいにはなりました。
 実家に来たばかりころはスマートだったニャンタでしたが、家の外に出ないようにしていたせいか運動不足のようで、最近は体のお肉がタプタプになってきたものの、まだまだ若者なので筋力はあり、高い所に一気に飛び乗ることができたのは大したものでした。







 私たち家族が宮崎に移り住んだ後も、実家からの便りにニャンタは登場しました。
 しかし二ヶ月ほど前、親からニャンタの様子がおかしくて体温が下がったので病院に連れて行ったとの連絡。
 お医者からはほとんど助からないとの診断だったようですが、東京に住む私の弟が駆けつけたら回復したようだとのことでした。

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 その後、腎臓病だったようで、そう長くはなさそうだとのメールが来ました。
 それでも、しばらくは元気にしていたようでした。




 そうしたら先日ニャンタ総集編特集号とでも言うべきお便りが。

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 ニャンタは先週、亡くなったとのことでした。

 このお便りを書いてたときはヨレヨレだったらしいのです。

 亡くなる前の日、めいっぱい喜びを見せて、次の日意識が無いかのようになり痙攣が少しずつ静かになり行きを引き取った、とその後のメールにありました。



 ニャンタは私の両親の元で暮らせて、本当に幸せだったんだねえ、そう思いました。

 少しづつだったけど、実家に行くたびごとにニャンタとの距離は縮まってきて、そのうち懐いてくれるかな、と期待していたのに。こんなに早く居なくなるとは思わなかったなあ。

 半年前に私たち息子一家が埼玉から遠い宮崎に行ってしまった上に、家族同然のニャンタを亡くして、両親はさぞかし寂しかろう、と気がかりになりましたが、両親に慰めがあるようにと祈ることしかできませんでした。

 ニャンタの訃報を聞いたムスメはとてもびっくりし、「お手紙書く!」と言って実家へお便りを書いてくれました。↓(文字は私が代筆)

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 ムスメなりのお弔い。





カテゴリー:つぶやき


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