印刷用表示 |テキストサイズ 小 |中 |大 |

yagi.png

ハナwork2.jpg

#11

あこがれの中村医師

 昨日、豊島区の豊島公会堂で行われた、ペシャワール会の中村哲医師の講演会に行ってきました。

 中村医師は私にとってあこがれの人です。

 中村医師は、20数年前にアフガニスタンに渡り、当初はハンセン病棟の医師として赴任しましたが、その後アフガニスタンのダラエヌールという所に診療所を開設、医療活動を始めます。しかし、水不足のために患者に十分な処置ができないことで井戸を掘ることを決意。これまで井戸1600本以上の他、最近長さ25km以上にわたる水路を開設しました。

 私がいつ中村医師のことを知ったかは忘れてしまいましたが、ペシャワール会から定期的に送られてくる会報には、現地での状況を、特に井戸と水路の工事進行を中心に報告してくれました。一緒に働いているアフガン人の方のコメントなんかも楽しいもので、現地アフガン人たちとの結びつきの強さを感じさせました。

 講演の中で、最新の情報も紹介してくれました。水路の完成で、戦乱とかんばつで荒れ果てた耕作地が再び緑で覆われたこと、それにより何十万人というアフガン人難民が戻ってきて耕作ができるようになったこと。

 井戸も水路も、中村医師が独学で土木工学を学び、石積みやじゃかご(金網に大きな石を詰めたもの)を利用した工法で設計し、現地アフガン人を雇って何年もかけてつくりました。
 コンクリートではなく石積みやじゃかごを利用したのは、日本のようにコンクリートが簡単に手に入る国ではないアフガニスタンでは、もし将来壊れてもアフガン人自身で直せるようにとの配慮のためなんです。
 欧米諸国のNGOが、様々な援助施設を作りっぱなしで引き上げ、その後現地アフガン人が修理もできず放置される例が多い中で、アフガン人自身の管理を考慮した中村医師の活動には、それだけアフガニスタンに対する思いがあるのです。

 印象深かったのは、アメリカで9.11事件が起き、アルカイーダを匿っているという理由でアメリカがアフガニスタンに報復攻撃をしたときの話。

 そもそもアフガニスタンとは、先進国などのように一国が一つにまとめられているわけではなく、アフガン国内の自治組織が独自に活動しており、便宜上一国としてまとめられているだけなので、アメリカが攻撃してきたとき、現地アフガン人はどうして攻撃されるのかが分からなかったそうです。
 しかも当時は大きなかんばつで人々は食料不足に苦しんでいたころ。しかも先進国による経済制裁のダブルパンチ。
 中村医師は「爆弾ではなく食料や水をください」と訴えました。

 それからもう一つ。
 アフガニスタンでは日本人に対する好感度が高く、アフガニスタンのどんな田舎に行っても、日本について、次の二つのことは知っているそうです。
 その二つとは、「日露戦争で勝利した」ことと、「広島・長崎に原爆が投下されたこと」。日露戦争では、ちっぽけな東の国日本が、当時あちこちに侵攻していた大国ロシアに勝利したことで勇気をあたえられたこと、広島・長崎原爆投下はかわいそうだと思いつつ、その後の経済復興を見事に成し遂げたことに驚いたこと。

 日本人だと言う理由で、いろいろなところで助けられたと中村医師はおっしゃってました。

 これだけのことをした人なのに、日本では中村医師のことはあまり知られていません。でも、中村医師は「自分のやるべきことをただやるだけです」と。名誉などには全く無欲です。
 話し方も穏やかで、どこか不器用さも感じられますがそれがまた親しみを感じ、でも言葉の節々に強い信念が感じられます。

 写真やNHKのドキュメンタリー番組では見たことがありましたが、想像以上の素敵な方でした。

 ペシャワール会→ http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/index.html

2011-8-28

カテゴリー:気になる人たち平和を 安心を 自由を

にほんブログ村 子育てブログ パパの育児へ にほんブログ村 家族ブログ 里親・里子へ にほんブログ村 家族ブログ 養子縁組へ
ランキングに参加しています。よろしければ1クリック、おねがいいたします!