ツブヤキ #196
埼玉アイデンティティ
2015-11-5
我が家の食卓の光景。
埼玉で生まれ育ち宮崎弁が使えず標準語で話す夫、
宮崎ネイティブなのにあまり宮崎弁を使わずやはり標準語で話す妻、
埼玉生まれで宮崎ネイティブじゃないのに宮崎弁でしゃべりまくる娘。
娘も、埼玉で暮らすよりも宮崎で暮らす時間がはるかに長くなりました。
娘に「H(娘)は埼玉と宮崎、どっちが好き?」と聞いたことがありました。
そうしたら「うーん、宮崎。だって埼玉に友達いないもん。」とも言っていました。
すっかり宮崎県人として育っています。
ところが。
少し前、娘が「うち(最近娘は自分のことを「うち」と言う。流行りかいな?)、埼玉で産まれたんだよね?」とか「おとーさんとうちは埼玉生まれ、おかーさんは宮崎生まれ」とか、やたらと埼玉で生まれたことを口にしていた時期がありました。
また先頃には、「うち、埼玉のどこで産まれたの?」と聞きいてきたので・・・
「戸田市っていうところ。」
「とだし?」
「そう。」
その時はそれで終わったのですが、次の日の朝、再び、向こうの部屋のほうから「おとーさーん、うち、埼玉のどこで生まれたんだっけ?」と大声で叫んでました。
「戸田市。」
「さいとし?」
「西都市じゃなーい。戸田市。」
娘と出かけるときに机の上を見たら、書いてありました。何かの申込用紙に。
どうやら、西都市は我が娘によって勝手に宮崎県から埼玉県に編入されてしまったようです・・・
私は一時期千葉と東京に住んでいましたが、埼玉出身ということを意識したことはほとんどありませんでした。
埼玉も千葉も東京も、特に都心の通勤圏はいろいろな地方の出身の方ばかりが住んでいるので、人の出身地がどこであるかなどあまり気にしなかったのだと思います。
しかし、宮崎に来て初めて、自分の出身地というものを日常の中で意識するようになりました。
それを感じさせるのが方言であったり、新聞記事で紹介される人が宮崎出身であることが強調されることであったり、「神話の国」にちなんだ観光PRをあちこちで見る機会があったり。(こういったことは宮崎に限ったことではないとは思いますが)
一方埼玉というところは、はっきり言ってこれといった目立った特徴も無く、都心への通勤者の受け皿で成り立っているようなところで(辛口でゴメンナサイ)、私からすると宮崎に比べて見劣り感があります。
それでも、遠く離れた土地に住むと、そんな埼玉に対しても郷土愛が芽生えてしまうのでしょうか。
娘にとっては小さな子どもながらも芽生えさせたアイデンティティの一つなのかもしれません。
ちなみに、「出身地」という言葉を調べてみると、
「その人が生まれた土地。また、育った土地。」(デジタル大辞泉)
・・・生まれた?育った?どっちだ?
その後、いろいろ調べてみると、はっきりとした提議は無く、どちらでもいいようです。
別な場所で生まれても子ども時代に長く住んだところを出身地とする人もいれば、ほとんど暮らしたことがないけれど生まれた場所を出身地とする人もいるようですね。
さて、娘が大人になったとき、自らの出身地を宮崎にするか、それとも埼玉にするのか。
興味深いところです。
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