私はなぜ「中国」を捨てたのか
石 平 ワック
今の中国では、中国政府への様々な不満から目を反らさせるために反日教育がなされていると聞きますが、それがあの天安門事件以降であったとは知りませんでした。
天安門事件より前に日本に渡った著者は、事件後のある時に中国に帰ったときに、すっかり反日思想に洗脳された家族親戚のあまりの変わりように驚き、以降、日本で生きる決意をします。
著者が日本で見つけた意外なもの、それは、中国ではすっかり廃れてしまった、孔子や論語などの古き中国のすばらしい文化でした。それが日本の中に息づいていることに驚嘆するのです。
私たちはしばしば、日本に夢中になる外国人から、普段は私たちが気付かない、日本のすばらしい点を指摘され、改めてそれらを大事にしようと決意します。
たとえばこの本でも著者は、「やさしい」という言葉が中国語に見当たらない点をあげます。まさか中国にやさしい人がいない訳ではないでしょうが、つまり、日本人は「やさしい」ということを意識して生きている人種だったのかと、改めてきづかされるのです。
それにしても私は、中国という国を一つに考えてしまいがちでしたが、実際は中国国民は、中国の恐怖政治の「被害者」なのだなあと改めて思いました。
著者は日本を安住とすることを決心し、今の中国の状況を憂いて日本の素晴らしさを指摘をしてくれますが、その心の向こうには、故郷中国への捨てきれない愛情が見えるように感じました。
2011-9-3
カテゴリー:世界の社会事情と外交