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#92

少女・十四歳の原爆体験記―ヒロシマからフクシマへ

橋爪 文 高文 研 (2011)

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 14歳で広島にて被爆した橋爪さんの体験記。(私が読んだのは2001年初版の旧版でした)

 本当にこんなことが二度とあってはいけませんね。親しかったある人たちが原爆の爆発で一瞬にして亡くなり、ある人たちは悲惨な形で負傷し、せっかく生き延びた人たちもある日突然亡くなる。

 穏やかな語り口で語られていますが、原爆投下前のその親しかった人たちとの思い出話と、投下後の負傷や後遺症の惨いばかりの描写のあまりにも大きな対比は、なぜこの人たちがこんな目に遭わなくてはいけなかったのか、と考えさせられます。
 まだ未来のある若い少女が一生背負っていかなければならなかった重荷はあまりにも大きすぎました。

 そして、後に日米共同の放射性影響研究所へと引き継がれる、終戦後のABCC(原爆傷害調査委員会)による被爆調査。「そこには、医師と患者という人間としての交流はなく、私たちはただの物体として扱われていて、強い屈辱感を味わった。」とあるように、アメリカにとっての日本への原爆投下は、原爆の実験としての利用の場であったであろうことが伺われます。

 これらのデータは原子力推進のために放射能の影響を過小評価するのに用いられていることはいろいろなところで言及されていますが、チェルノブイリの原発事故について書かれた、「事故の被害を大きくしたのは、事故後に現地調査を依頼された各国調査団の中で、「この程度の放射能は案ずるに及ばない」といった日本人研究者たちの見解をソ連政府が最も信頼したからであろう。」というくだりは、この日本においては福島第一原発事故の今に至っても何ら変わっていないのです。

 日本人は、原爆を無くさなくてはいけないこと、放射能というものがどんなに人に悪影響を与えるかを伝える使命があるのではないかと思うのです。


2011-1-10

カテゴリー:日本の文化と歴史原爆・原発・原子力
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