#356
「らしい」建築批判
飯島 洋一 青土社 (2014)
2020年の東京オリンピック開催が決まった直後、計画にある新国立競技場の案があまりにもバカでかく、しかも周囲の景観を損ねる恐れがあるものであるということが明るみになり、話題となりました。
この本で、ザハ・ハディド氏が設計した新国立競技場を皮切りに、飯島さんは世に氾濫する「らしい」建築 を批判します。
「らしい」建築 とは何か。
簡単に言えば、建築家○○○氏が設計した建物であれば、一目その建築を見ると「建築家○○○氏らしい」と分かってしまう建築。
「つまり一部の世界的な建築家たちについては、いまや彼らの建築的なフォルムだけでなくて、その建築家の持つ名前の威力が、世界市場で巨大なブランド価値になっているのである。
施主たちはその建築家の建築そのものでなく、その建築家の名前の威力、つまりあの有名な建築家がつくったというブランドを、たとえ高額でもいいから是非買い取りたい。」_p37
飯島さんは、幾人かの有名建築家を例に取り上げ、断罪します。気持ちのいいくらいに。
某建築家の設計した建築という商品で、都市が、まちが、形づくられてゆく。
芸術のようで芸術でない。論理的なようで論理的でない。
私のもののようで私のものでない。公共のもののようで公共のものでない。
主に大都市において、ある時期急に、更地から現れる、芸術作品と見紛うような建築。驚嘆の想いで眺めると同時に感じる、何か居心地の悪い、違和感。
それが何なのかを、この本は教えてくれたような気がします。
これらの著名な建築家たちが日本の建築界を牽引してきたという面はあると思いますが、果たしてそれは「いい方向に」牽引してきたのだろうか?
飯島さんが挙げた「らしい」建築 の功罪は、建築とは何のために作るのか、という原点を注視することを促してくれました。
2015-1-8
カテゴリー:建築・造園