#17
藤原新也の書行無常。
2011-11-25
二日前、末広町の3331 Arts Chiyodaという、旧練成中学校を改修したアートスペースで行われていた藤原新也氏の「書行無常」展に行ってきました。
藤原さんは作家、あるいは写真家と紹介されることが多いと思いますが、私から見たら好きなことやってる哲学的なオジサンですね。書行無常とは最近藤原さんが取り組んできた一つの芸術活動と捉えていいと思いますが、世界各地で書をしたため、それを風景に取り込むという、一種の書と写真のコラボですね。
中国、インド、日本・・・そして東北。その土地土地でしたためられた書は明らかにその土地の空気を吸収し、その影響は筆遣いにも現れ、その土地のある日常の一断片となって写真に収められていました。文字というのは単なる記号では無いのは言わずもがな、言葉でありながら同時に絵として、そして世界に出て風景の一部分となったんですね。
会場の実物の書、そして巨大なプリンタで出力されたという精緻な写真は見る人たちを圧巻します。そしてその前で何かを思わざるを得なくなります。
そして、夕方はトークイベントがありました。約300人が集まり、ゲストは作家の瀬戸内寂聴さん。何と90歳だそうで、しゃべりもしっかりしてるし、全くそんな歳には見えない!
お二人は公私共に仲の良いおつきあいをしているらしく、寂聴さんが腰を痛めて入院した時に藤原さんがお見舞いに行ったときのエピソードなんかを楽しそうにお話ししてくださいました。寂聴さんくらいの歳になると腰を痛めたらだんだん体も弱くなってしまうそうですが、寂聴さんはお医者さんに「寝てれば大丈夫」と言われて何もしてくれなかったが無事退院できたとおっしゃってました。
藤原さんもそうですが、 寂聴さん、大震災後に東北に行かれたそうで。その時のお話は印象深いものでした。
寂聴さんは按摩がお上手だそうで、被災した住民さんたちのところを按摩をして、住民さんたちのお話を聞いてまわった。津波で被災した住民さんたちはそれはもう大変な状況だったけれども、行って耳を傾ければいろいろとお話してくれた、ところが原発事故で避難した飯館村の住民さんたちは違った。行ってもその拒絶するような視線がとても怖かったというのです。災害にあったところはいろいろ行ったけれど、こんなのは今までで初めてだった、と。で、もう、お話ししてもらおうともせずに、按摩だけしてあげようとおばあさんを按摩してあげた、そうするうちにおばあさんが話し始めて、徐々に他の人たちも話し始めた、と。
つまり、津波は、被災すればそれは大変なことだが、自然災害だからまだ仕方ないとも思えるが、原発事故は人災、人が原発さえ作らなければ住んでいるところを追われる必要も無かったのです。だから仕方ないとも思うことができない。
戦争と原発事故は人災、人がやらなければ起きないのものだからやってはいけない。
言葉は違ったかもしれませんが、そんなふうなことを話しておられました。
藤原さんも被災地に行かれてあちらこちらをまわったそうですが、タフを自認してる藤原さんでさえ、帰ってきて寂聴さんに「死に顔になっている」みたいなことを言われて、自分でも気づかなかったけれども大変なところへ行ってきたんだなあと感想を述べておられました。
お二人の今後の活躍、また楽しみにしてます。
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