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#134

引っ越し


2014-4-16


 ついに埼玉から宮崎に引っ越しました。

 引っ越しする日が近づくにつれいろいろな方がお別れ会をしてくださり、本当にありがたい気持ちになりました。週の半分の夜は飲み会になり、気のせいか肝臓に疲労を感じてしまうほど。

 多くの方が、私が仕事を辞めて宮崎に移住することを励ましてくださった一方で、長男である私が埼玉に両親を置いて遠方に住まいを移すことについて、将来親を介護しなければならなくなる場合のことなどを考えておいた方がよいとのアドバイスも数人の方から頂きました。それは本当にその通りでありがたい忠告で、これについては私が最も気にしていたことであり、またそれは私が宮崎に移り住むことを迷っていた原因の一つでありましたが、いざとなったらまた埼玉に戻る覚悟を持ちつつ、なるべく多く連絡を取ったり何かあれば帰れるようにしようと決心しながら引っ越しの準備を進めたのでした。

 3月の終わり頃、ムスメの保育園の春休みを待ってカミさんとムスメが埼玉に戻り、私が仕事に行っている間にカミさんは荷造りと掃除に勤しんでくれました。
 私は3月末にすっぱり退職し残り10日ほどはじっくりと荷造り・片付け作業に取り組もうと思っていましたが、職場からもう少し延長して仕事に来てほしいと頼まれまして1週間ばかり延長して勤務しましたが、カミさんからはせっかく引っ越し準備作業の力を当てにしてたのに何で直前まで仕事するのよと怒られました(そりゃそうですね・・・)。

 ようやく勤めていた会社も辞めてからの、埼玉での残り時間は2日間しか無く、その頃は既にカミさんとムスメは保育園が始まるので先に宮崎に戻ってしまい、残りの作業を一人引き継ぎ、何とか残りの引っ越し準備を終わらそうとしていましたが、そこで近所に住む、母という助っ人が入ってきました。

 私が引っ越し準備作業に本腰を入れた頃にはカミさんがほとんど荷造りやある程度の掃除を終えていて、私がやる作業としては粗大ゴミの搬出・不要品のリサイクルショップへの持ち込み・宮崎での生活にすぐにでも必要なモノの宅配便での発送などでしたが、それでも時間があまり無く、最初は頭の中で時間を計算した上で自分一人で何とかなると判断していましたが、結果的に母が手伝いに来たことは大きな助けとなりました。

 宮崎までの荷物の運搬は長距離であるがゆえに、なるべく費用を抑えたいところ。
 カミさんが引っ越し業者さんに相談したところ、約20万円という、この運搬距離にしてはほぼぎりぎりのラインの価格で請負ってくれることになりました。
 そのため、引っ越し時期は繁忙期のピークからずらした時期の平日となり、荷物は2tロング車積みきりが条件となり、宮崎の荷下ろしは5日後ということになりました。

 私が昔千葉の一人暮らしから埼玉の実家に戻る時に借りたトラックが2tロング車でしたから、冷静に考えれば家族3人の荷物をそれと同じ大きさのトラックで運ぼうというのは無謀と言えば無謀ですが、カミさんは家にあるものを仕分けて運搬するものを半分くらいに減らせば何とか入ると踏んだらしく、また、それより一つ上の大きさのトラックとなると金額が約10万円跳ね上がるというので、カミさんは何とか2tロング車に入るよう荷物を減らすと宣言し、引っ越し業者と契約を済ませたのでした。

 当日、引っ越し業者さんが来たのは夜でした。
 若い男性4人でやってきてテキパキと段ボール箱を搬出し、大きな家財道具(といっても冷蔵庫とちゃぶ台、組み立て式の棚くらいでしたが)を梱包してゆきました。
 しかし、引っ越し業者のお兄さんたち、来た時から何だかハアハアと息が切れがち。聞いてみたら、これで今日は4件目らしいです。ええっ、4件目?・・・そりゃ、いくら何でもくたびれるでしょう。

 搬出は2時間半ほどでしたが、最後に搬出終了確認の書類のサインなどをしているときに、リーダーの方にいろいろ話を聞いてみましたら、ここのところ忙しすぎて3時間くらいしか寝てない、毎日ビール3本くらい飲まないとやれないです、と申し訳なさそうにちょいと愚痴を吐いてました。
 まあこの忙しさも時期的なもので、この繁忙期がすぎれば少しは楽になるらしいですが、引っ越し費用をなるべく削減しようという私たちの行動はこの人たちへのしわ寄せになるのだろうか・・・という気持ちになりました。

 結局、2tロング車には全部の荷物は積みきれませんでした。残った荷物は次の日、実家に車で運び、後日単身引っ越しパックという小さな引っ越し便で運ぶことにしました。
 持っている物を必要なものといらないものに仕分けるというのは実にエネルギーのいることで、荷物を運び出す前は思い切って多くの物を「持って行かないこと」にしたのに、後で考えるともっと仕分けることができたのではないか・・・と思いました。

 引っ越し業者さんが荷物を搬出した次の日、5日もトラックに預けられない「植木」や、その他宮崎ですぐに使いたいものを宅急便に出し、最後のゴミを環境センターに持ち込み、荷物の搬出で散らばった細かいゴミなどを母が掃除機できれいにしてようやく引っ越し作業は終了したのでした。私が宮崎へ飛行機で飛ぶ約6時間前、ぎりぎりまでのドタバタ引っ越し騒動。
 約10年前、当時武蔵野市で一人暮らしをしていたカミさんと結婚し、そこに転がり込んで約1年一緒に住んだ後、埼玉の部屋を探しに来て、何件か物件を見て、カミさんは風水なども調べながら、ほぼ直感で二人で決めたこの部屋。
 広さの割には家賃も安く、建物は古いけれど既に内装はきれいになっていたし、4階でエレベーターは無いから上り下りに少々体力が必要だけれども、南側は畑で視野も開け、南向きで明るい、しかも北側の部屋の窓を開ければ風が通る、とてもいい部屋でした。
 心配していたのは、すぐ近くを通っている鉄道がうるさいかな?ということでしたが、それもしばらくすると電車が通っても気づかないくらいに慣れてしまいました。

 そんな住み心地の良かった部屋ともお別れ、そして私は40年以上住んでいた関東からの初の脱出。

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 母は、南の窓から見える菜の花畑をいつまでも眺めていました。




カテゴリー:つぶやき


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