photos.jpg

#136

逃げられるか 戻れるか


2014-6-7


a0136_01s.jpg

 先日、宮崎市内で、前・福島県双葉町長の井戸川克隆さんの講演会がありました。

 井戸川さんといえば、福島第一原発事故当時の双葉町長で、事故直後に多くの町民とともに埼玉県に避難、一時的に埼玉県加須市内に町役場を移しました。
 原発事故で災害を被った自治体の首長としては、事故直後にインターネットで事故について世界にいち早く発信した南相馬市長の桜井勝延さんとともに名の知られた方だと思います。

 私たちは原発事故で避難された方たちの声を、テレビで、新聞で、その他様々な活動を通じて聞いてきました。
 原発の再稼働反対デモでも、避難された方たちが避難生活について話されましたが、その言葉は悲痛な叫びとなって私たちの胸に突き刺さったものです。

 そうした方々の声はとても貴重なもので、私たちがこの先原発とどう向き合うかを考える時に考慮すべきものですが、井戸川さんの話は町ごと遠方の他県に避難させた自治体の首長のお話として、とても貴重なものでした。




 講演のタイトル「なぜ????あなたが逃げるの」に一瞬「?」となりますが、その意味はお話を聞いていくうちに分かってきます。

 井戸川さんが原発事故による避難について特に強調されたのは、「天災による避難と全く違う」という点でした。
 通常天災による被害では、被害が収まった後に再び自分が住んでいたところに戻ることができます。(もちろんそうできない方もいらっしゃいますが)
 しかし、原発事故により避難すると、家に戻って暮らすことができない。しかもその目処すら立たない。

 井戸川さんは、今回の原発事故によってはっきりした問題点を多く挙げてくれました。

 原発について。
 フィルターベントなど、他の国では当たり前とされてきた事故に対する対策が、なされていなかったこと。事故が起こるはるか前の2002年ころから国や電力会社などにより、原発の地震・津波対策について検討がなされていたのに、それが原発には反映されなかったこと。

 事故直後の状況。
 道路のいくつかは寸断され、通信も稼働していたのは防災無線のみ、詳しい情報がまったく国や電力会社から入らなかったこと。

 避難先のこと。
 着の身着のままで避難するので、避難先ではほとんどのものを借りなければならず、どこに行っても頭を下げなければならなかったこと。家族どうし、親族どうし、住民どうしのつながりが分断されてしまうこと。争いが絶えなかったこと。

 被曝の問題。
 最近ある漫画で原発帰りの主人公が鼻血を出したシーンを掲載しそれについて政府も現在の双葉町も風評だと騒いでいるが、井戸川さんは事故直後に町民を対象に疫学的に調査し岡山の大学の研究ですでに論文として発表している。チェルノブイリ原発事故後のウクライナでは27年たった現在でも子どもたちの80%は何らかの健康障害をかかえていおり今後福島でも同様のことが懸念されること。
 初期被曝で多いのは心筋梗塞。しかも、心臓病を持病としていない人や若い人が多く亡くなっている、夫婦で無くなった人もいる。しかしそれらは原因は不明として片付けられてしまう。原発事故の影響で死んだことになっていない。
 (講演会にマスコミが来ても発表の際には被曝の話は必ずカットされると言ってました。それと、福島で被曝の話をするのはタブーなのだそうですね。だから福島の人でよくぞ本当のことを言ってくれたと感謝してくれる人がいると言ってました。)

 そして、避難計画として決めなければならないことがあまりにも多くあること。
 避難するための法律、帰還するための法律の整備。そして避難する期間、受け入れ先について。避難後の健康について、手帳の交付やカルテの永久保存。などなど・・・
 もちろん、それまでにも決められていた防災計画はあったが、実際はそれらのほとんどは実行できなかったと言います。防災会議すら開く暇がない。
 これだけの大きな事故が起こった場合、周辺住民がどうなされるべきかをあらかじめ決めておかなければならない。逃げて終わり、の避難計画ではいけない。もし避難計画を立てるのであれば、ちゃんと避難先でどのように暮らすか、将来どのように戻るか、というところまでの計画を立てなければならない。


 そこで井戸川さんが勧めていたのが、「内容証明書」というのを書いて各大臣や原子力規制委員会などに送付することでした。もし原発事故が起こった場合の損害補償を求める内容を書き記す。自分が「先住していながら避難させられる如何なる理由も存在しないので避難計画作成そのものを拒絶する」ことを宣言すること。

 これについては鹿児島から来たという議員さんが(鹿児島には川内原発がありますから)「そうは言っても実際に事故が起こった場合のために避難計画を立てる必要があると思う」というようなことをおっしゃってました。
 私も、たとえ自分たちがそのように宣言しても、実際には国や自治体はそんなことは意に介さないだろうからそういう訳にはいかないだろうと思っていました。

 そうしましたら、井戸川さんはこのようなことをおっしゃいました。

 住民の避難計画ではなく、原発が避難することを考えるべき。事故のとき、20万人が離れられるか、戻れるかを考えなくてなならない。
 事故が起こったとき、その責任が取れますか。(住んでいたところに)帰りたくても帰れない恐ろしさ。議員が住民の前に行けなくなるんです。事故後私はずっと住民から怒鳴られていた。
 ある住民に避難先でこう言われました。
 「町長、こんな所で死にたくない。オレの死に場所をつくれ。」

 原発を止めたら仕事が無くなると言うが、取りやめれば跡地の利用ができます。(原発事故で故郷から避難した)我々は、それさえもできないんです。

*****

 こんな話を聞いたら、原発の再稼働などあり得ないと思いました。
 二度と事故が起こらないなど、誰が保証できるのでしょうか。
 再び事故が起こったら、誰が責任を取るのでしょうか。再稼働していいと決めた議員や関係者がたとえそのときまだ在任していたとしても、せいぜいその職を辞することぐらいではないですか。
 原発事故で避難している人たちがこんなにいるのに、こんな思いをしているのに、また私たちは、同じことを繰り返すのでしょうか。

 機会があれば、多くの方に井戸川さんのお話を聞いてほしいですね。インターネット上に動画でもアップされていると思いますから、実際に講演に行けなくても、そのお話を聞くことはできます。

 ところで。
 井戸川さんが教えてくれた、一つの教訓。
 生活の中で、車の燃料が半分減ったら半分補充するようにする。
 自分を守るために。
 原発事故が起こって車で避難するとき、燃料が無くなって途中で乗り捨てた車が多くあった。
 ガソリンが半分あれば相当な距離を逃げることができる。

*****

 私が埼玉に住んでいたとき、新聞の埼玉版のページに、時々双葉町の記事が載っていました。
 福島の町の出来事が新聞の埼玉版に載るという様子を、複雑な気持ちで読んでいたものでした。
 埼玉の人たちにとっては原発による避難生活について詳しく知る機会だけれども、避難してきた双葉町の人たちはどう思っただろうか。

 このようなことがあったことを、原発事故による避難生活について考えるための記録として、いくつか載せたいと思います。
 (全て東京新聞)PC版で拡大してご覧になれます。

a0136_09s.jpg
2012年3月12日

a0136_02s.jpg
2012年3月16日

a0136_03s.jpg
2012年6月21日

a0136_04s.jpg
2012年8月24日

a0136_05s.jpg
2012年10月24日

a0136_06s.jpg
2013年1月25日

a0136_07s.jpg
2013年3月12日

a0136_08s.jpg
2013年6月15日



カテゴリー:気になる人たち原発


にほんブログ村 子育てブログ パパの育児へ にほんブログ村 家族ブログ 里親・里子へ にほんブログ村 家族ブログ 養子縁組へ
ランキングに参加しています。
よろしければ1クリック、お願いいたします!



≪前へ次へ≫