#170
さらに反省の数々。(続・荒れはじめた娘 猛省した親)
2015-6-6
記事「荒れはじめた娘 猛省した親」では、娘の翌日の学校の準備に、あれこれ口出しをせずに見守るようにし、学校の準備を当日朝にするようになってしまった娘も、ちゃんと前日に準備をするようになった、という話で終わりました。
そしてその時は、これからはずっと娘はちゃんと前日に準備をするだろう・・・と思ってちょっとホッとしました。
・・・
しかし、そうは問屋が卸しませんでした。
その翌日には再び、娘は学校に行く準備を当日の朝にやってました。
なんだ、戻っちゃったな。
まあ登校に間に合っていたので、その時はそれでもまあいいか、と思っていたのですが。
しかしついに、もっと痛い目に会う日がきました。
その日も、私は前日に娘に「明日の朝早く起こして」と言われたので娘を朝早く起こしました。
しかし、いつもと違っていたのは、娘は二度寝どころか、ぎりぎりまでまったく起きれなかったこと、そしてやっと起きるなり、3月までに通っていた保育園の名前を挙げ、そこに行く、などと妙なことを言い出したことでした。
理由が分かりました。
起きることができなかった上に、学校の準備どころか前日に宿題も終わらせていなかったらしく、到底準備が間に合わないと、彼女は早々と白旗を揚げたのです。
当然のことながら私は、小学生は小学校に行きなさい、と言うと、娘の「保育園に行く案」は渋々諦めましたが、宿題や準備が終わらず学校にも遅れ先生にも何か言われ・・・と、おそらく想像していたであろうストーリーが現実になろうとしていると悟ったのか、娘はとたんに号泣。
泣いているばかりなので「学校は今日は行かないか?」などと聞くと泣きながら「行く!」と。娘はぐちゃぐちゃに泣きながら宿題をやり、学校の準備をしたのでした。
そしてついに登校班の集合時間が過ぎ、娘はギブアップ、そしてさらに大泣き。それからだいぶ遅れてようやく学校に行く準備は終わったのですが、「一人で行くのは嫌だーっ」と。
この前班に遅れてお母さんが途中まで連れて行った時、今度遅れてももう一緒に行かない、って言ったよ、と言いますが、一人で行きたくない、一人で行きたくない、の一点張り。
ほらほら、泣いてる間に追いかけないと、どんどん班に遅れるよ、と言いますが、てこでも動かず。
困った。
妻は朝から仕事に出て家にはおらず、娘は一人で学校に行く気はまるで無し。
登校の集合時間に遅れること、約15分。
これ以上促しても無理だと思い、仕方がないので私が途中まで連れて行くことにしました。
しかし、途中で何回も「お父さんは仕事があるからこの先は行けない。一人で行きなさい」と帰ろうとしても、そこでまた火がついたように娘は大泣きし、こちらに戻ってこようとする始末。先に行っても行っても登校班の子どもたちは見えず、すでに子どもたちは学校に着いてしまったようでした。
結局、一緒に学校まで行ってしまいました。
校門で別れようとしても娘はまたそこで泣き出して先に行こうとしないので、仕方なく中まで連れて行きました。
遠くに教室が見えてきたので、そこで「おとーさんはもう帰るからね!」と振り返らず元来た道を戻りはじめたら、さすがに娘は観念したようで、ぼーっとそのまま立っているようでしたが、突然「おとーさん!タッチ!タッチ!」という声が聞こえてきました。
振り向くと、娘が泣きそうな顔をして片手を上げてます。ちょっと考えて、戻って「はい、タッチ!」と言って娘の手にタッチし、じゃあねと声をかけると、あとは一人で行ったようでした。
あの「タッチ」は、娘にとって、自分が「ここから先なら何とか一人で行ける」と思い直し、一人で行くための精一杯の勇気を振り絞るための、元気をもらおうとしたのでしょう。
学校からの帰り道、歩きながら考えました。
登校に遅れたら一人で追いかけるくらい、もう少し自立して欲しい、と思う一方で、娘はそこまで成熟してないのだ、焦ってはいけない、と。
後に妻から聞きましたが、そのとき娘は忘れ物もし、学校でも取り乱していたと連絡ノートにあったらしく、散々だったようです。
さすがにこたえたのか、その日の夜は、娘はちゃんと翌日の学校の準備をし、しかも翌日の着替えまでして寝てました。ちょっとやりすぎるところも子どもらしいところですが。
それからも、前日に準備できたり、眠くて準備できず夜中に起きてしまった時にやったり、と、いろいろ。
今後もまた、遅刻しそうになり、親の付き添いが必要なこともあるでしょう。
子どもの成長は行ったり来たりです。
しかし子どもはそうやって自分自身で自分のやり方を身につけていくのでしょうね。
***
数日前の夜、娘が次の日の学校の準備をしながら、時間割表が無いと言い出しました。
前の日、準備のために見た時間割表を、元の場所に戻さなかったようです。
一緒になっていくら探しても見当たらない。
仕方無いので、教科書を全部ランドセルに入れて行ったら?そしたら教科書忘れましたって言わなくて済むでしょ?と言うと、○○君に何か言われるから嫌だ、と。
時間割は先生にコピーを下さいって連絡ノートに書いておくよ、と言うと、今度は、先生に怒られる、イヤだーっ、と。
何回分かりやすく言ってもダメ。怒られるのがイヤ!しか頭に無いようで、いやだーいやだー!!と泣き叫ぶばかりです。
先生は怒らないかもしれないでしょ、とか、時間割表無いから仕方無いでしょ、といろいろ言いますが、全く納得する様子無し。こっちもだんだんカッカしてきて、さすがにもう付き合いきれん、と放っておいたのですが。
準備を始めてからおよそ1時間、娘がふと思い出したように違う部屋の娘の棚のところに行ってごそごそやりだしたら、出てきたのです、時間割表が!
娘の方が一枚上手でした。それは神様が娘に味方し、もう分かったよ、と時間割の場所を教えてくれたように思いました。その一方で、私は神様に、お前は子どもを信じたんじゃなかったのか?と言われた気がしました。
***
決めごとを子どもに押し付け、あれこれ注意するのは、気分は良くありませんが親にとって楽なことです。前の日の準備を親が指示すれば、終わったらちゃんと片付けさせれば、子どもはこんな失敗をしなくて済むでしょう。その方が、子どもはきちんと自分で自分のことをやるようになるのは早くなるし、子どもが余計な問題を起こさずに済むし、何より親が安心できます。その分、子どもも親も考えることをしなくなりますが。
一方で、子どもの自主性に任せたとしても、その子のその成長段階においての能力不足ゆえにできないこともあり、それを無視して無理にさせることによって子どもが学校でイヤな思いばかりをして学校がイヤになったら、それはそれで本末転倒でしょう。
子どもを信じる、ということは、時に親が面倒なフォローまでしなくてはいけないことだということを知りました。しかしそれによって、子どもとのつながりもさらに深まると感じたのも事実です。
私は子どもを信じるという意味を、いつの間にか取り違えていました。
子どもは自分でちゃんとやろうとしているだろう、と信じることが、言われなくてもちゃんとやってほしいという希望に、いつの間にかすり替わっていたのです。そこには親のエゴしかありませんでした。
ありのままの子どもを受け止めること。
そして時に一緒に考え、時に一緒に歩むこと。
さらには、子どものために、日々祈ること。
それだけなんだな、と思いました。
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