#50
子育ては「余計なこと」である
我が家の3歳のムスメ、大人のやることを何でもやりたがります。
例えば家事。
茶碗を洗っていると「茶碗洗いたい!」、洗濯物を干していると「洗濯物干したい!」、雑巾絞っていると「絞りたい!」、桃の皮むいていると「皮むきたい!」・・・大人のすること、何でもまねてみたいようです。
ま、つい最近までは仕事を中断されるのが嫌で「だめ」とか「大きくなってから」とか言ってましたが、最近ちょっとづつやらせるようにしてみました。
茶碗洗いたいと言えば「はい、じゃやって」。洗濯物干したいと言えば「じゃ、これとこれお願い。」雑巾絞りたいと言えば「じゃやってみて。」皮むきたいと言えば「じゃ、ここの部分むいて」。
茶碗、洗い残しあってもいいじゃないですか。洗濯物、ぐちゃぐちゃで干されてもいいじゃないですか。床、水びたしになってもいいじゃないですか。
はい、次はこういうふうに洗ってみよう、こうやって干してみよう、こうして絞ってみよう、水こぼした時は自分で拭いてね、などと様子を見て一言付け加えることもあります。
ちょうどいい、せっかくの学習の機会。そこで何か一つ学んでもらえれば、それでいいのです。
確かに仕事、止まりますけどね。でも、親としても「どこまでやるのかな」と見てみるのも面白いと思うようになりました。
内容によっては、まかせちゃって別の事やる。ムスメが飽きて止めたら続きをやったり、すでにムスメがやったものを直したり・・・やりようによっては仕事のはかどりもそう変わらないし、ムスメの気も済む。
とは言うものの、時間が無いときや相手するのが面倒な時は「ごめんねーまた今度ねー」と言って「アタシやりたかったのにー!!」と機嫌損ねられることもありますけどね。
家事をやっている途中であれやりたいこれやりたいと子どもが手を突っ込んでくるのは一つ一つ「余計なこと」のように見えます。でもこの「余計」こそが大事だなあと思います。
そりゃあね、もう少し大きくなってから教えた方が失敗も少ないだろうしちゃんと覚えるだろうし楽でしょう。
しかしそのころは多分子どもはお手伝いなんて自分からやろうとはしないでしょう、頼まれるからやる。少なくとも自分はそうでしかたら。
ただ「やりたいやりたい」と言っている今、それをやらせたからと言って将来進んで手伝ってくれるとは思いませんが、その「自分で出来た」という経験こそが、大事だと思うのです。
子どもはやる気になったときが一番モノを覚えるんだなあとしみじみ感じます。
ムスメはへたっぴーではありますが、納豆かき混ぜるのも、卵割るのも、皿を拭くのも、出来るようになった。
いろいろやりたい、というムスメに対して、いつも心がけていることがあります。
それは、「自分がムスメの立場だったらどうして欲しいかを想像してみる」あるいは「いままで親にしてもらったことでこれはやってもらってよかったと感じた方法を思い出す」ということです。
親にどうして欲しいか。それは実は自分が一番知っているはず。子どもの頃の自分に戻ってみるのです。すると自ずから方法が見つかる。
ダメと言われてもやってみたいこと、やってしまえば気が済んでしまうことがある。ガミガミ怒られたって納得できないこともある。親に認められたいばかりにわざと悪さをすることもある。
子どもの経験は「余計なこと」の積み重ね。「余計なこと」万歳!
「アタシが拭くー」 (・・・あー、周りだけまん丸に拭いてるわ・・・)
「アタシが水入れるー」 (・・・あー、水、こぼれそうでっせ・・・)
※ちなみにワインではありません、冷蔵庫で冷やした水です
2012-8-22
カテゴリー:こどもとともに