#175
報道の脳死
烏賀陽 弘道 新潮社
報道の質の低下については昔から様々なところで論ぜられましたが、昨年3月の震災ほどそれを身に染みて感じたことはありませんでした。
震災で被害を受けた東北の人たちを応援しよう、という報道の裏で、復興が大手企業や官庁の食い物にされたり、原発事故の責任逃れのために情報が操作されたことについては報道は消極的でした。
烏賀陽さんは元朝日新聞の記者で、新聞テレビが陥っている粗悪記事について、パクリ記事(あちこちに同じような記事が載り皆パクリに見える記事)・セレモニー記事(企業・官庁その他の組織・団体が設定した式典・儀式・式を主題に捕らえた記事)・カレンダー記事(毎年日にちが決まっている行事の記事)・えくぼ記事(建前やきれいごとのようなおめでたい記事)・観光客記事(訪問者の視点に偏った記事)と分類しています。皆、安易な仕事で流している記事です。
これらのような状態をもって烏賀陽さんは報道の脳死と呼び、身体は動いているが頭脳である「報道の精神」は死んでしまった、と言っているのです。
その原因として組織の断片化、そこから必然的に生まれる記事の断片化を挙げてます。つまり、記事相互がつながりを失ったままバラバラに出ている、と。
それはつまり、コスト削減のため。断片化防止のため担当割りを超えて記者を動かしたり全体像を見渡し調整するポジションの置くことなどを烏賀陽さんは挙げますが、それはコスト削減のために柔軟な組織運営は出来なくなったと。
また閉鎖的な記者クラブの問題も取り上げ、それは記者クラブの存在が問題というよりも運営が間違っていると論じています。
これらの分析は元記者ならではと言ったところでなるほどと思うところが多かったのですが、肝心なことには触れていないような気がしました。
私からみたら、これらの根本は既得権益の死守や業界や広告主、政府からの圧力に屈していることではないか?と思うのですが、そこにはあまり触れずじまいだったような気がしてそこが残念ではありました。
2012-10-5
カテゴリー:日本の社会問題
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