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#68

「死」についていろいろ思い巡らせたムスメ


2012-12-10


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 祖母が亡くなりました。

 今年の夏、久しぶりに山形県に住む祖母のもとへ行き、ムスメを初対面させました(記事「ムスメと祖母の初対面」)が、ムスメに合ってからわずか4ヶ月ばかりで祖母は空へ旅立ったのでした。

 雪の散る山形の地。知らせを受けて、田舎の小さな斎場に家族と親族たちが集まりました。
 ずいぶん長く見かけなかった顔もあり、みなそれぞれそれなりに歳をとり、その子供たちはいつのまにか大きく成長し、しかし昔の面影は変わらず、懐かしい気持ちで一杯にもなりました。

 斎場に祖母の棺が運び込まれ、集まった人たちが一人一人棺の小窓から祖母の顔を覗き込み、最後のお別れをしました。
 私も棺の小窓をムスメと一緒に覗き込むと、真っ白くすっきりした祖母の顔が見えました。
 「ほら、ひいおばあちゃん。一緒に握手したよね」「うん」「じゃ、さよならしようか」「うん」

 それが終わると、棺は炉の前へ移され、職員さんの挨拶とともに棺は炉に入れられ、炉の扉は閉められました。その後かすかに聞こえたゴーっという炉の音を背に待合室へと向かいました。

 祖母が大往生したこともあり、待っている人たちの間に湿っぽさは無く、久しぶりの親族の集まりといった感じで、日本酒やお茶を飲みながらあちらこちらで昔話に花を咲かせていました。

 一時間半ほどして収骨室に案内されました。そこには台の上に祖母のお骨が載っていました。お骨は意外と形をとどめておらず、ムスメは目を見張りました。

 「これがひいおばあちゃんの骨だよ」
 「ふーん」

 皆で台の周りに集まり、箸渡しでお骨を骨壷に入れ、最後に顎の骨、喉仏、頭の骨を収め、蓋がされました。
「ひいおばあちゃん、小さくなっちゃったね」と言うと、「ひいおばあちゃん、赤ちゃんになっちゃったのかな」と。
 ムスメは自分なりに祖母の死について理解しようとしているようでした。

 その後、お寺さんに移って葬儀。
 骨壺は壇の前に置かれ、ムスメは「ひいおばあちゃん、お空の階段上ってるんじゃない?」と。「うーん、お空は遠いねえ」。
 和尚さんのお経とともに祖母は弔われました。
 お寺さんから出てお墓に向かうころ、雪はだんだん強くなってきました。

 納骨が終わると祖母の家で宴会がにぎやかに行われ、ごちそうがふるまわれました。お座敷の仏壇には祖母の写真が飾られ、10年以上も前に既に亡くなった祖父の写真の近くに並びました。
 宴会は夜遅くまで続きました。

 一晩泊まって次の朝帰る前にお線香を上げながら祖母の写真にさようなら、と。
 「ひいおばあちゃん、お空に着いたかな」「うーん、どうかな。着いたかな。」

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 一晩で雪はかなり積り、一面真っ白になったその風景は、祖母の静かな人生の終わりにふさわしいもののようにも思えました。

 ***

 両親とともに自動車で高速に乗り帰り着いた埼玉は射すような冬の低い日差しにすっきりときれいに晴れた空でした。

 夕飯を食べておやすみしたムスメは、うちに着いて少しほっとしたからでしょうか。添い寝していたカミさんと布団でお話しをしてましたがそのうち泣き出し、延々一時間近く続きました。
 耳を澄ませてよく聞いてみると「死ぬのやだ!」とか「お空の神様のところに行きたくない!」とか言っているようでした。真っ暗な部屋の布団の中で、ここ数日のことが頭の中をぐるぐる巡っていたのでしょう。

 「人の死」というものを身をもって感じたであろうムスメ。きっといろいろなことを学んだことと思います。
 仲良くなった人が死んでしまうこと、死んだ後どうなってしまうかは想像でしか分からないこと、だからこそ死が怖いと思ってしまうこと、でもそこから「死」というものが今の世界とは違う世界ではなく自分とどこかでつながっているということを感じること・・・

 次の朝、ムスメは少しすっきりしたかのように元気に起きました。添い寝していたカミさんは、昨日の夜はなだめてもぜんぜん泣き止まずほとほと困ったと言ってましたが、なんとなくムスメは大きなものを得たように見えて少し頼もしく感じました。





カテゴリー:こどもとともに


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