#108
動物であることを忘れた動物
2013-7-3
こんな記事を見つけました。
(PC版では拡大して見ることができます)
平成25年6月29日 東京新聞
「科学を信用するな」ということが大正時代という時代からすでに石碑として残されていたことにちょっと驚きました。
この当時は科学が十分に進歩していなかったから仕方が無い、という声もあるかもしれません。
それでは、その「科学」が進歩しきって「完成」されるのはいつなのでしょう?
「完成」なんかしない?
そうですね。
ということは、このような誤りは、「科学」をもってしても、起こる確率は低くなっても無くゼロになるわけではありません。
人間には、他の動物同様、動物的本能や勘、経験で身の回りの危険を回避していた時代があったはずです。
しかし、人間は徐々に膨大な量の知識を身につけ、いつの間にか科学技術に頼るようになり、動物的勘や経験など、科学で説明しにくいものを軽んじるようになってきた。
しかしこの世の中、科学で説明できるものなど、ほんの一握りでしかありません。
この記事を読んですぐに思い浮かんだのが、原子力発電所。
これの事故は、同じように、起こる確率は低くなっても全く無くなるわけではない。
でも、火山と違うところ。
それは、原発は人が作ったものだから、やめてしまえば大災害の確率は限りなく「ゼロ」になるということ。(正確には全ての原発の廃炉が済んで、貯蔵した放射性廃棄物が発する放射線が小さくなれば、ということになりますが)
ですから原発、続けていれば、安全性をさらに高めるまでにきっと事故を何回もやらかしますね、普通に考えれば。
安全性を高めるためには、そういう苦い経験が必要だからです。
科学技術の進歩に事故はつきものですから、ある面仕方のないことだとは思いますが・・・
でも、原発の場合、何回も事故、起こせますか。次に大きな事故を起こしたら、この日本という国は、存続できるのでしょうか。
今回の原発事故で、真っ先に動いたのは小さな子どもを持つ「お母さん」たちでした。
きっと、世の中のいろいろな立場の人たちの中で、「子どもを守る」という、我が子孫を存続するための「動物的勘」が一番働いているからではないか、私はそんなふうに思いました。
我が子を連れて遠くへ自主避難するお母さんたちに対し「身勝手だ」とする世間の意見もありました。
でも、これはよくよく考えたら、「動物」としての人間の、本来の姿ではないでしょうか、子孫を残すための。
そして、多くの原爆の被爆者たちを診察し、政府や米国に睨まれながらも多くの記録を取り続け、そのデータをもって国際基準を変えさせたあの肥田舜太郎先生も言ってました。
「結局は、自分なんですよ、命については。誰頼ってもだめ。医者なんて最もだめ(笑)。長生きする責任は政府にあるんじゃなくて、あなたがたご自身にある。それが自分の命をね、責任持つ勇気ある態度。」
当たり前のことですが、最後はやはり、自分がこの頭で考えて、自分で判断しなければならない。
人間は、動物であることを忘れた動物。
カテゴリー:原発
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