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ツブヤキ #188

映画「アラヤシキの住人たち」に見る山里の理想郷


2015-9-17


 「アラヤシキの住人たち」という映画を.観ました。

 北アルプス・小谷村の、山道をずっと歩いてたどり着く、一軒の古民家。
 そこに数十人の人たちが住んでいます。

 共働学舎という、様々な人たちが協力しあいながら生活するコミュニティ。
 映画を見ると住人は中高年男性が多いですが、若者、家族が来ることもあります。

 映画の中で写っていた中年男性たちは最初、知的障害者かホームレス、あるいは日雇い労働者のようにも見えました。
 偏見ながら、そんな人たちに重なって見えたのです。
 若者たちは、人生における何かを求めて、あるいはこのような自然の中での生活にあこがれてやってきたようにも見えました。
 でも映画が進んでゆくと、映画の中では語らないけれども、それぞれ異なった、様々な思いを持ってこのコミュニティにやってきたことが分かってきます。

 一般社会の中ではそれぞれ全く違う世界で生き、そのまま暮らしていたらお互いに接点は無かったであろう彼ら。
 しかし、そんな彼らのここでの生活を眺め、気持ちがゆったりとそこに入り込んでゆくと、その人間関係に、理想像を見いだすのです。



 彼らは半自給自足の生活を営みます。
 手植えで田植えをし、野菜を育て、やぎも育てる。
 皆で一緒に作業するとき、誰かそれを投げ出したり、手を止めてしまっても、周りの人たちはそれを咎めることをしない。

 豊かで美しく、あるときは厳しくもある自然の中で、住人たちは淡々と生活をしますが、ちょっと「変わり者」の彼らはそんなお互いの「変わったところ」をも受け入れ、尊重することで、逆に受け入れられた自分は、そんなコミュニティを自分の居場所と感じているのかもしれません。

 いろいろな事情で、新たにやってくる人、去ってゆく人、そしてまた戻ってくる人。
 そんな人たちをも、このコミュニティは優しく迎え入れ、そして送り出します。

 私はこの映画を見て、かつて読んだ一冊の本、「べてるの家の「非」援助論」を思い出しました。
 北海道・浦河にある精神障害者の施設「べてるの家」。
 様々な精神的障害を抱えた患者たち。
 幻覚を見る、大声を出す、時々暴れる。
 精神的に病み、社会に出て生活できない彼らが共同で住む「べてるの家」は、そんな彼らの、社会では受け入れられない行動をお互いに受け入れ、ありのままの自分を受け入れ、それぞれ自立しようとしてゆく。
 そして、近所から迷惑がられていたその施設が、患者である彼らの独特の個性を発揮しながらも社会の中で自立しようとする姿に心を打たれ、受け入れられてゆく。
 あるがままの個々を認めることの大切さ。


 他人を認めること、それは「愛」です。
 私はこの映画の中の「アラヤシキ」に、理想郷を見ました。
 それは、豊かな自然環境という物理的意味だけでなく、その「愛を実践している人たち」の住まうところとして。

関連サイト
アラヤシキの住人たち ウェブサイト
共働学舎 ウェブサイト
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カテゴリー:フィルム


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