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ツブヤキ #199

娘と暮らし始めて5年がたちました。


2015-12-15



 娘と暮らし始めて、早いもので5年がたちました。

 と言っても、娘が里子として我が家に来て3ヶ月後には、妻子が東日本大震災に伴う原発事故の影響から逃れるように宮崎に移り暮らし始めたので、私と娘が本当の意味で一緒に暮らし始めたのは2年にもなりませんが、ありがたいことに埼玉と宮崎の二重生活をしている間は、妻が頑張って娘の父としての私の存在を娘に伝えてくれたので、昨年から一緒に暮らし始めてもお互いに家族としての大きな意識のギャップはありませんでした。

 思えば我が家に来たばかりの娘は表情に乏しく、私たちの顔色を見ながらそれまでの「甘え残し」を取り戻そうとするかのように甘えようとし、二歳弱の独り身で他人の家に来た不安のためなのか眠るのを怖がり、夜は夜驚症を繰り返し、そのやや情緒不安定な毎日の娘に私たち親初心者はオロオロしましたが、今ではそんなこともすっかり昔話となり何かきっかけでもなければ思い出すこともなくなりました。

家の中でも近所に響き渡るくらいの大きな声で歌い、見ていて飽きないくらい表情も豊かになり、そしてその元気なエネルギーに圧倒され、(それにつきあう親はくたびれ・・・)こんな私たちでも親として慕ってくれるのだなあと不思議な気持ちになります。

 それと同時に、私は自分の中にある「思い」があることを感じるようになりました。
 それは、「自分はこの子のことを、我が子のように思えていないのではないか?」ということ。

 妻は娘のことを「産んでいないけど自分の子にしか思えない」と前々から言ってました。
 確かに妻と娘は似てます。行動やら言動やらそっくりで、妻が娘を「我が子」と迷わず断言できるのも納得できますが、娘は当然のことながら私たち親に「遺伝的に」似ている部分は何一つありませんので、生活習慣から「似た」とすれば私に比べて遥かに娘と一緒にいる時間が長い妻に娘が似るのももっともかもしれません。

 しかし私は当然そこまで及ばず、それどころかどうしても「我が子」と思い切れていないような気がしていました。表現するのが難しいですが、どちらかというとルームメイトのような存在に近いかもしれません。
 娘を預かったばかりの時はもちろん「我が子」という感情を娘には持つことはできませんでしたが、いずれ時間が経てば本当の我が子のように思えるようになるだろうと思い、実際娘に対し「我が子」として接してきたのですが、それでも娘に「他人」の部分を感じ、「我が子」と思い切れない自分がいます。娘が何か問題を起こしたりすると「もし自分に実の子がいたらこんなふうにはならなかっただろう」と思ってしまうことがあります。
 もちろん、だからといって親としての責任を全うできないとか、自分の子として育てられないとか、そういうことでは全く無いのですが、それが今の自分の素直な感情なのです。

 娘も小学生ともなると「反抗期か?」と思うくらいのわがままや親への反抗をも見せるようになります。
 洗濯物を自分の引き出しにしまっておいて、と言っても反応すらしなかったり、食事のおかずを「おなかいっぱいだから」と言って食べないのにごちそうさまの後におやつをせがんだり。

 子どもというのはそういうものであるし、「子どもを信じる」ことを心がけようと思って、親としてなるべく大目に見ようと自分に言い聞かせてきたのですが、抑えていた「もっと素直でしっかりしてほしい」という娘に対する気持ちが積もり積もってきたようで、ここのところ娘と小さな衝突を繰り返していました。
 そしてついにある晩、風呂上がりに髪の毛を乾かすために頭にタオルを巻いたまま夕ご飯を食べ始めた娘に「タオルが頭から落ちたら困るから外しておきなさい」と言うと「それなら食べない」と娘は反抗。
 そこでこれまでの思いが爆発、「お前なんかどこかに行ってしまえ」と言い放ってしまったのです。
 娘は泣き出し隣の部屋に逃げ込み、妻がなだめに行きましたが、自分でも「もうどうでもいいや」と思ってしまいました。

 そんな最近の気持ちを、先日職場でたまたま話の流れで同僚のRさんという二児のお母さんに打ち明けましたら、男の人は自分のお腹を痛めて子を持つわけではないので、子どもが実の子であってもお父さんというのは同じような気持ちを持っているのではないか、小学生の高学年になるとそれまでお母さんお母さんと言っていた子どもがお父さんを頼るようになるので、そのときお父さんはようやく父親になるのだと思う、と言ってました。

 うーん・・・なるほど、そういうものかな?

 そうしたら、その直後にたまたま妻と娘が医者の帰りに職場に立ち寄ったので、Rさんが娘に話しかけてくれました。
 次の日は娘が前から楽しみにし、私と一緒に参加する予定だったイベントがあり、私は前日に、もうそれには行かないと言っていたのですが、Rさんが、H(娘)ちゃん、Hちゃんからお父さんに行こうよ、って言ってみたほうがいいよ、などと言ってくれました。
 娘はその時は「言わない」と頑として拒否してました。私も私で、この子はそういう子だからなと、どうでもいいという気持ちになってしまいました。

 そして妻と娘は一足先に家に帰ったのですが・・・

 家に着いたら娘が随分と好意的な態度。
 話しかけてきたり、「お手紙読んで」と何か紙をくれたり、晩酌してたらおつまみを出してきたり。

 その時は知らん顔してましたが、娘が寝た後にその手紙を見たら何だか固まった気持ちがだんだん解けてきました。
 その手紙には「たのしみにしているからつれていってください」って書いてありました。

 妻はあれから、家に帰る車の中で、娘にいろいろ話かけたようで、どうしたらお父さんの気持ちが向いてくれるか、二人で話し合ったとのこと。

 一夜明けて。
 反省した私は、私のほうから「怒鳴ったのは悪かったけど、お願いしたことをやってくれなかったりわがままばかり言うから悲しくなった」と素直に話したところ娘も納得したようで、その後すっかり打ち解けて、二人で娘が楽しみにしていたそのイベントに一緒に行ったのでした。


 自分の中では、娘を「我が子のように思って育てなきゃ」という気持ちが強かったし、そうはすんなり思えない自分をどうしたものかと思う気持ちがありましたが、そう思えないという自分の素直な気持ちを認めるのも大事じゃないか、と思うようになりました。

 そうでした。
 娘は「自分の子」じゃなくて「神様から預かった子」でした。



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カテゴリー:こどもとともに


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