不登校への道のり(その2)なぜ学校に行きたくないのか?

娘は4月から5年生になりました。新しい学年になるにあたり、一応こうアドバイスしておきました。

「一番最初は行った方がいいよ。クラスの子が変わるでしょ。最初から行かないで、もし途中から学校に行きたくなっても、知らない子が多くてやっぱり行きたくなくなるでしょ・・・」

娘もそれには納得したようで、5年生になってから学校に行き始めました。気分も一新、これまでの不登校は嘘のように、いつも通りの生活が始まりました。

再び学校に行くようになった娘の姿を見るのはとてもいいものでした。朝、近所の子が声をかけてくれて、一緒に出かけていきました。ついでにゴミ出しもしてくれるようになりました。夜も、クラスの誰々がどうだったとか、授業でなにがあったとか話していました。子どもが学校に行ってくれるだけでなぜだか親として安心します。

しかし・・・

再び娘は学校に行かなくなりました。4月下旬に休むようになり、5月の連休明けに数日行ったものの、その後学校に行くことはなくなりました。

妻が娘に、なぜ学校に行きたくないか、を何度か聞きいたことがありましたが、帰ってくる答えは毎回「なんとなく」でした。

「なんとなく」・・・「なんとなく」と言っているけど、本当の原因があるのでは、と最初は思いました。しかし、たぶん本当に「なんとなく」なのだろうと思うようになりました。

つまり、原因はあるのかもしれないけれど説明ができない、ということなのでしょう。大人だって、なぜだかわからないけどなんとなくイライラする、とかモヤモヤする、いう経験があるくらいですから、子どもが「なんとなく」としか説明できないことがあって不思議ではありません。

そして娘が妻に「学校はいろいろなきまりが多くてイヤだ」と言っていることもわかりました。

「学校はいろいろなきまりが多くてイヤだ」が原因であれば、「宿題をするのがイヤ」というのも、毎日そんなきまりに縛られるのがイヤだ、ということで説明できます。

しかし、親も、先生も「宿題しなくてもいいから」と言っているにも関わらず、行きたくない、と言っているのをみると、宿題するのは確かにイヤなのかもしれないけれども、それが一番の原因ではないのかもしれません。

妻が「いじめられてる?」と聞いたことがありましたが、これはきっぱり否定しました。クラスの子たちがお手紙書いて持ってくるくらいだし、いじめでは無さそうです。

ではなぜ?

推測ですが、甘え残しがまだまだあって、それを取り戻そうとしているのではないか、と思いました。

というのは、ここ2〜3年、娘の妻にとてつもなく甘えるのです。

お風呂は妻とでなければ入ろうとしない、夜も妻と一緒でなければ寝ない、食事は妻にくっついて食べる、いろいろ妻に頼む、妻がいくところにはどこにでもついていく・・・

小学1年生みたいな(でも小学1年生のときは言ってなかった)わがままは言うし、ある部分年齢が逆戻りしたような感じ。

自分の部屋があるにも関わらず、妻の近くでほぼ一日を過ごします。

わたしたち夫婦が娘と暮らし始めたのは娘が2歳になったばかりの時。今は私たちと親子の関係が築けていますが、2〜3歳の時は娘は我が家に来たばかりで、その時は娘にとって私たちは親の役割をした見ず知らずの大人です。その前は病院や乳児院で育ちましたから、娘は愛着形成に大切な3歳くらいまでの時期、いろいろな大人に育てられ、言ってみれば不安感の続いた約3年を過ごしたことになります。

そう考えると、この「不登校」というのは、不足していた愛着を取り戻し、自分の心の居場所を築く大事な行動なのでは、と思ったのです。

もう一つ気になったのは、「人目を気にする」ということです。

学校の先生からも、娘の友達の親からも、評判がいいのです、うちの子は。

最初はちょっと鼻が高く感じたものですが、ここまで評判がいいと「大丈夫かな?」と逆に思うようになりました。

つまり、学校で「人から良く見られたい」とがんばっているうちに疲れてしまった、ということが考えられないだろうか。

「宿題をしなくてもいい」と娘に言っても、娘は「宿題ができていない自分がイヤだ」と言っていたこともあり、宿題をしなくていいと言っているにもかかわらず学校に行きたがらない娘の行動はこれで説明できるし、低学年のときによくあった「登校班に遅れたら一人では学校には行けない」というのも説明できる。

私たち夫婦は娘に「いい子にしなさい」などと言ったおぼえがないし、しつけはよその家よりゆるいと思うのですけど、たぶんこれは我が家にくる前に身につけたものではないかな、と思いました。

乳児院の子は人懐こい子が多い、と、かつて里親会の仲間の間でも話がありました。大人に気に入ってもらうことで自らを守ってもらう自己防衛本能のようです。

うちの娘は私たちが初めて会った時はそんなふうに見えなかったのですが、幼少期にそんな処世術を身につけていて、それが現れたのかもしれません。

あくまでも推測ですが。

朝の祈りで、毎朝「こどものための祈り」を祈るようになりました。

この中の、「わたしの誇りによって その道のさまたげにならないようにさとしてください」という言葉が、いつも私の心に刺さります。たぶん娘は娘で自分自身の中で一生懸命格闘しているのに(本人はそういう自覚は無いかもしれませんが)「学校に行ってほしいなあ。ちゃんと社会に出ることができるのだろうか」とついつい思ってしまう父親の私は、反省の毎日です。

※祈りの手帖、ドン・ボスコ社

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