娘が学校に行かなくなって1年が過ぎました

娘が学校に行かなくなって、1年が過ぎました。娘が家にいる光景もあたりまえになりました。ここ数週間、新型コロナウイルス感染症拡大抑止のためにテレワークが推奨され、学校が休校になるなど、社会活動の大きな変化を余儀なくされていますが、私も数年前から在宅勤務ですし、我が家の生活はあまり変化なし、といったところです。

さて、娘が学校に行かなくなってから、どういう生活をしていたかというと・・・

妻は個人事業をしており、車で15分くらいのところにあるシェアオフィスに毎日通っていたので、娘は妻についていくようになりました。最近は、本を読んでいたり、妻が貸し与えていたタブレットでYouTubeを見たりゲームをしていたようです。

やがて妻は、我が家と同じようにお子さんが不登校の親御さんたちとつながるようになり、娘はその子の家に遊びに行くようになりました。うちからは遠いので妻が車で送り迎えしなければなりませんが、都合が悪くて行けない時も、LINEやマインクラフトというオンラインゲームを通じてそのお友だちと遠隔で遊ぶようになりました。

勉強はというと・・・チャレンジタッチという、専用のタブレットを利用して学習する通信教育があり、それならやる、というので、辛うじて小学校の勉強はそれでつないでいます。

一方、学校のほうはというと、5年生になって当初は、担任の先生が何とか娘に学校へ来てもらおうと、あれこれ工夫して働きかけてくれました。しかし、娘に、学校に戻る意思が全くないこと、その親も無理して学校に行かせようとはしないことが分かると、週1回我が家を訪ねてくれるようになりました。娘とおしゃべりして、学校の様子を教えてくれたり、また、娘が一週間何をしていたのかを聞いてくれるようになり、やがて、少し勉強も教えてくれるようになりました。本当にありがたいというか、頭が下がる思いでした。

私も、娘の不登校生活にも慣れてくると、意外と周りに、不登校経験者や、家族親族に不登校の子がいた、という方がいることが分かり、娘の不登校の話をすると皆さん「大丈夫、大丈夫!」と言ってくださいました。

勉強はもちろん大事ですが、それよりも、娘が「幸せを感じられる子ども時代を過ごせること」、こちらの方が大事だと思うようになりました。これまで何年も里親研修を受けてきたからこそ、そのように考えられるようになったのかもしれません。安心感を育むこと、それには安らかな家庭を築くこと。時期がくれば娘も、外の世界に出てみようと思うことでしょう。その時のために、今は力を蓄える時ではないかと思います。

娘が家に閉じこもってばかりいるのかというと、そんなことはありません。学校に行っていないこと以外は、ほぼ普通です。本人は時々「毎日楽しい!」と言っておりますし、確かに学校に行っていたころはそんなことを言ったこともなかったので、意外と人生を謳歌しているようです。

「甘え」と「甘やかし」の境界線に悩むことはあります。しかし、それは「子どものためか?」「親のためか?」という原点に戻ることで判断したいと思ってます。

学校に行きたがらない子どもが学校に行かないことを認めるのは「甘やかし」なのか?学校に行くことが苦痛な子どもに無理やり学校に行かせることで、学習は身に付くのか?身についたとして、それでも勉強が好きになるのか?何かもっと大事なことが抜け落ちるのではないか?そもそも親が、「行きたくない」と言っている子どもに学校に行かせるのは、我が子が他の子と同じようにしないと自分が不安を感じるからではないか?ただ単に、自分が子どもの頃そうしたからさせるのではないか?「それが当たり前だから」だとしたら、今の時代にもその「当たり前」は本当に適切なのか?大人だったら本当に職場が嫌だったら自分の意思で「休む」とか「辞める」ことも選択できるが、子どもはそれをしてはいけないのか?・・・

そんなふうに考えていくと、これまでの一般的な教育論からはかけ離れることがあるかもしれません。しかし、世の中の変化のスピードが速くなっている今、それぞれの問題への対処法を「これまでと変えるべきではないこと」と「時代の状況に適応させたほうがいいこと」のどちらに当たるのかを考えて判断すべきではないかなと思います。

親として娘にいろいろ言いたいことはあるけれど、強制する、納得させる、のではなく、なるべく見守るようにしたいと思ってます。大事なことはしっかり言うけれど、あとはできるだけ本人の判断にまかせるようにします。娘はその場ではしれっとした顔をしてますが、逆に娘が、私が言ったことと同じことを言いだして、「なんだ、聞いてないようで意外と聞いてるし、解っているんだな」と思うことがあります。

ここ数ヶ月、「意外と大人になったんだな」と思う場面に出会うようになりました。約1年半、「起きれない」「行かない」と言っていた日曜の教会のミサにも行くようになったり、話しかけても返事すらしなかったのに逆に話しかけてくるようになったり、手伝いも頼めばやってくれるようになったり。学校に行かなくなったことで心にゆとりが生まれたからか、単に成長して年相応になったからなのかは分かりません。学校に「行きたくない」という娘の行動が、他の子よりも幼く見えていた時期もありましたが、それはそれで彼女にも正当な理由があって、それとは関係無く大人になっていくのだなあ、と思いました。

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