ツブヤキ#212
日曜の教会のミサ後に行われる教会学校の子どもたちとその親たちで、2ヶ月に1回ほど「子どもミッション」という名で、子どもと親と神父による学びと祈りとふれあいの集いを行っています。
県内の教会の親子たちが、回ごとに県内の教会の場所を変えて集まっていますが、今月初めは延岡で行いました。
ヨハネの福音書に、最後の晩餐の前にイエスが弟子たちの足を洗う場面があり、それについて学年ごとに、そして大人たち同士で話し合い、分かち合いました。
体の中で汚れている部分でもある「足」を、師であるイエスに洗ってもらう。イエスはそのことで弟子たちに愛を示し、そして弟子たちに、自分があなたたちにしたように他の人たちにもしなさいと促すのです。
子どもたちはそれぞれ、お父さんお母さんやお友だちに優しくするとの決意を示すカードを作ったり、足を洗ってあげるためのエプロンを作ったり、大人たちは子どもたちがよいことをしたら愛の印として送るためのメッセージカードを作ったりしました。
そしてその後は、いつもどおり皆でゲームをしたり、一緒にお昼を食べたりして過ごすのですが、この集まりも終わりになろうとする頃、何とびっくりするようなイベントが。
それは「子どもたちに、集まりに一緒に来たお母さんお父さんの足を洗ってもらおう!」というものでした。
子どもたちは「えーっ!」と言いましたが、大人たちの表情も「えーっ!」でした。
お風呂の中での子どもとの洗いっこならともかく、日常生活の中で人の「足を洗う」行為というのはほとんど無いですよね、考えてみれば。「あ、なんで人の足を洗うとか、人に足を洗ってもらうとか、っていうのは、こんなに気恥ずかしさとかを感じるんだろう?」と改めて感じました。集まりを担当している神父は神学生だったあるとき、友人の足を洗うということを実践したところ、びっくりする人、涙を流す人、お返しに自分の足を洗ってくれた人など、いろいろな反応があったそうです。
あらかじめ聖堂の祭壇の前に並べられた、椅子。そしてその前の、ぬるま湯を張った、たらい。
親たちは椅子に座り、我が子が足を洗ってくれる。
娘は私の足を洗うことを嫌がるかな・・・と思いましたが、小さな手のひらで優しく洗ってくれました。
そして終わったらタオルで、足を包み込むように。
もう、じーんときてしまいました・・・
足を洗ってもらうことで、娘の愛をこんなにも感じるものだとは思ってもみませんでした。
しばらく暖かい気持ちでぽーっとしました。
家に帰ったその夜、久しぶりに娘がお風呂に一緒に入るといって、おとーさん足洗って!とせがまれたので洗ってあげました。
娘と一緒にお風呂に入るときはいつも一緒に足も洗ってあげてたのにね。この日、お父さんの足を洗ってあげて、お父さんが喜んでいる姿を見て、そんなによかったのかあ・・・改めてと思ったのでしょうか。娘の足を洗ってあげたら、おとーさん足洗ってあげる、と、お返しに私の足を洗ってくれました。
昔から慣れ親しんでいたはずの聖書の中の一つのエピソードだったのに、実際にやってもったことでその意味をようやく実感したような気がしました。