夕(ゆう)ミサ

ツブヤキ#230

この2年間、ずっとちぐはぐであまり良いとはいえなかった夫婦関係が、ようやく修復されてきました。

私が宮崎に来る前、原発事故からの避難により妻と娘が宮崎に住むという3年間の別居生活のため、私が娘とずっと一緒に暮らしたのは、里子として我が家にやってきた、原発事故の前のわずか3ヶ月。

一昨年私が宮崎に移って家族一緒に暮らし始めたものの、もうすでに出来上がってしまった妻と子の新たな生活スタイルになかなか馴染むことができず、約40年関東を離れて暮らしたことのない私が遠い宮崎の地にもなかなか慣れず、もちろん楽しいことたくさんありましたが、つまらないことで妻と子と衝突ばかり繰り返し、不信感をつのらせていた日々。

子どもが我が家に来る前は夫婦仲良くしていたばかりに、その当時を懐かしむ気持ちも徐々に大きくなった一方で、この状況を何とか打開せねばとずっと思っていたのですが・・・

ある日、教会の夕方のミサに出てみよう、とすがるような気持ちで決心し、行ってみました。

教会では日曜にミサが行われますが、日曜とともに平日にも行われる教会が多くあります。

平日のミサは早朝に行われることが多いのですが、私の教会では平日は夕方にミサが行われるのです。

家から教会がわりと近いので、前々から夕(ゆう)ミサに出てみようかと思っていたのでしたが、仕事の都合で面倒になったり、行こうと思って忘れたりして、実行されることはありませんでした。

しかし、とりあえず何日かは出てみよう、という気持ちが強くなり、通い始めました。

習慣になると不思議なもので、何とか時間をやりくりして出ようという気持ちになります。

夕ミサは参加者が少なく、日によっては神父とシスターと私の3人ということもありました。

それでも、シンプルで静かで温かい、家庭の穏やかな夕食のような雰囲気の夕ミサに出ることで、私はその日の、そして最近の私の行いを反省し、一日を感謝し、神父の語る福音とそれに関する説教に耳を傾け、心を洗われる気持ちで家に帰ります。

さすがに毎日は難しいのですが、なるべく出られる日は出るようにして約1ヶ月、変化が起こりました。

妻に対する私の、それまでなかなか取り去ることができなかったわだかまりが、まるで鱗が剥がれるかのようにどんどんと自分から剥がれていくのがよくわかりました。

と同時に、成長するに伴って何かを言えば悪態をつくことが徐々に多くなった娘の態度が、どんどんやわらくなり、朗らかになり、ここ数ヶ月教会に行かないと言って行かなかった娘が、教会にも一緒に行くようになったのです。

家庭内の衝突も激減し、私が懐かしんでいた、娘が我が家に来る前の良き夫婦の関係に、(もちろん娘との関係も同じように)どんどん近づいていくことが分かりました。

これは何という導きだろうか。

私にとっての、今年最大の収穫。

感謝してもしきれません。

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